2019年08月03日

性差の固定化

この前名前を挙げた大江健三郎「燃えあがる緑の木」を読んでいる。この小説の語り手は今だと「トランスセックス」と呼ばれる身体を持っていて、途中までは男性として生活していたが、「転換」して女性として生きていくことを選んだということになっている。

男性器と女性器が一人の身体に備わっているということは、親指ペニスのある「親指Pの修業時代」の語り手と同じなのだが、後者が女性と男性、女らしさと男らしさという通念を相対化するものとしてあるのに対して、前者は男らしさ・女らしさという価値観を固定化しているように思える。

語り手の言い回しの端々にもそれが反映されているような…… 「弓子さんは私の介入に苛立って、いかにも女性的な訴え方に切りかえられた」p92、「この土地の年をとった女性がする、じつはニュートラルであるのに肯定的に響く間の手」p110「若い娘の胸の内から明るく伸びのびと湧きあがるもの」p118、「まさに嫋々として女性的な嘆声をあげて射精した」p120

並行して読んでいる『レストレス・ドリーム』の二作目、「レストレス・ゲーム」(『すばる』1992年10月号)が女性らしさを強要する言葉とゲーム的世界で戦う姿を描いているのと差がありすぎるように思われる。

ただ、一応語り手本人は次のように述べてはいるのだった。
私は肉体において女性となりながら、この土地で自分の周りを占めている、娘らしい考え方や幼さが嫌だった。

この続きもあるのだが、それはまた別の機会に。

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2019年08月02日

1980年代末についての当時の認識

大岡昇平は1909年生まれ、昭和天皇裕仁は1901年生まれ。8つ違いではあるが、亡くなった日は13日(1988年12月25日と1989年1月7日)しか離れておらず、同時代を生きた二人である。

とはいえ、後者の場合はおそらく前者より早く亡くなっていた(らしい)のにむりやり生きていることにされていた訳で、おそらくその点も含めて前者は次のような同情的な発言していた。引用は全て『大岡昇平全集』22(筑摩書房、1996年)による。

 裕仁天皇重篤の報を聞いてまず思うのは、「おいたわしい」ということです。
 歴史上いろいろ問題はあるとしても、明治二十二年の憲法発布と同時に、当時の枢密院議長・伊藤博文が天皇家は万世一系であると決めてしまった。しかも伊藤は日本は外国に敗れたことがないとも言った。明治以後の天皇は、よかれあしかれ、そのワク内で身を処してきた。「昭和天皇」にすればその日本が、自分の代で敗れて降伏しなければならなかったわけだ。
 ぼくが何よりも「いたましい」と思うのは、「昭和天皇」の生涯が戦前・戦後を通じて、日本と世界が左右の対立抗争を深めていく時期と重なっていることだ。
(中略)
 それでもぼくを戦場に引っぱり出すのは、国家権力という、実質的には天皇に出る幕など与えない、得体の知れない怪物だ、という意識があったから、天皇その人への恨みがましい気持ちはなかった。
(「二極対立の時代を生き続けたいたわしさ」『朝日ジャーナル』1989年1月20日号)


 天皇として一国の頂上におられただけに、敗戦の苦痛は、われわれとは比較にならないものがあっただろう。万世一系(これは歴史家によればフィクシャスなものであるが)唯一人敗戦降伏を経験されたのである。これは天皇としては父祖に対して堪えられないことである。一九六〇年代以来、日本が高度成長を遂げ、皇族は人民に敬愛されているのを見て慰めとされたであろう。晩年、沖縄に行かれようとしたのは、沖縄を失ったのではないと確認されたかったからであろう。
 いろいろな機会に御退位の議が出たが、それがなかったのは明治天皇が定められた一世一元の原則をくずさないためであろう。天皇は国の象徴であると同時に、皇族すべての家長である。次代天皇が、情勢の推移によって、退位を迫られることがないように、病躯をかって憲法上定められた国事を続けられたのはいたましい。
(「腐敗は隅々にまで達した」『毎日新聞』1989年4月28日)


「万世一系」や「一世一元」というイデオロギーや制度が、明治というごく近い時代に恣意的に定められたものであるということ、さらに「象徴」という戦後に新たに憲法に記された概念が天皇を縛るものであるということをふまえて、そのいたましい犠牲者として裕仁という人物をとらえている。
「国家権力」に対して、本当に「天皇に出る幕」が無かったのかは捉え方が分かれるところだろうが、大岡昇平には裕仁天皇が自分と同様に世界に対して無力な個人に見えていたということなのだろう。

その一方で同時代の「国家権力」については、以下のような認識を持っていたことも記しておこう。ザ・戦後文学者。

 高度資本主義は、われらの生活に必要なものだけでなく、ぜいたくに必要なものを生産している。それはわれらの増大した欲望をみたすためのものである。欲望が生産を増大させ、生産されたものが、欲望を増大させる、という増幅の一方交通路に乗ってしまって、もはや転換は利きそうもない。
 この豊かな国は米ソ会談の結果も、韓国大統領選挙の結果も、すベて満足してのみこむ底抜けの寛容さを持っているように見える。
 製品が欲望を増大させるのは、イメージによるPR、つまりテレビによる宣伝効果である。テレビは実に私たちの生活の大半を占めている。サラリーマンの場合、帰宅後の二時間半だが、老人と幼児の場合、その生活時間の半分に達するだろう。
 豊かさの感覚はCMだけでなく、テレビドラマやルポルタージュに含まれている。われらは欲望は統制されているのだ。
 豊かさはこの状態が近い未来まで続くことを予想している。中曾根内閣が戦後総決算といったのも、今になってみると、ねくらの戦後の歴史を忘れて、食べなさい、旅行しなさい、SEXしなさい、ということだった、と思い当たる。
 新人類、ポストモダン、などと浮かれている消費人口ほど御しやすいものはない。長年の政権保持によって老人化した政府による、幼児化した中流階級の支配である。豊かさは保守性を持っている。それは豊かでないものを差別し、排除する。これが児童に反映すると「いじめ」となり、「理由なき反抗」を生む。
 ここまでは国内問題だが、これが近隣途上国への対応となると、いらざる摩擦を生む。われらはすでに、米ソに次ぐ大国意識から、西欧先進国を追い抜いた「小国」として、差別しはじめている。これは戦争中の「近代の超克」につながるおごりであり、ほんとにそう思う根拠があるか、どうか、慎重に検討を要する問題だ。
(「年初に豊かさを考える」『朝日新聞』1988年1月1日)
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2019年08月01日

論文まとめてみた

7月26日に考えた『メディアとしての小説・小説による小説の教育(仮)』の目次に基づいて、データを第一部と第二部との二つのファイルにまとめてみた。
第一部は最終章の12,000文字分が無いので、最終的にはほぼ同じ分量になる感じ。
目次自体も少し並びを変えたり、変更したりしている。

 第一部 メディアとしての小説 129,602文字 ÷400=324枚

 「嘉坡通信報知叢談」論 メディアとしての小説
 エンサイクロペディアとしての小説 幸田露伴と「浮城物語」論争
 メディアとしての小説 矢野龍渓「報知異聞浮城物語」
 難民・亡命者の位置 明治期の政治小説から見えてくるもの
 軍隊と身体―後藤明生「挟み撃ち」と大西巨人「神聖喜劇」
 大江健三郎と自衛隊、その持続性
 大江健三郎と原子力、そして天皇制
 家庭・〈われわれ〉・民主主義 大江健三郎『新しい人よ眼ざめよ』
 天皇の死と交代、そして時代の区切り?(仮) ※この分は含まず


 第二部 小説による小説の教育 141,326文字 ÷400=353枚

 リアリズムへの悪意 現実と小説の(無)関係
 太宰治「俗天使」論 「聖母」と「私」、「私」と「作者」
 「憂鬱妄想狂」の「一人角力」 太宰治「善蔵を思ふ」論
 武田泰淳「風媒花」論「エロ作家」と「プロ作家」
 〈私〉を書くこと 〈戦後派文学〉の継承
 小説と〈私〉 大江健三郎『「雨の木」を聴く女たち』
 小説の教育は可能か 大江健三郎『キルプの軍団』『静かな生活』他
 一九七〇年代の日本の〈小説家についての小説〉について
 一九八〇年代の大江健三郎による自身の小説の再利用・再生の方法

文字量としては、部ごとに分けても新書一冊分くらいある。逆に言えば、新書二冊くらいしかないとも言える。
もちろん、前に書いたようにつなぎの文章を加筆したり、ダブった記述を削ったりする予定なのだが。

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2019年07月31日

天皇の死と交替、時代の区切り?

というようなタイトルの論文で取りあげるかもしれない作家たち。

大岡昇平 1909年(明治42年)〜1988年(昭和63年)
後藤明生 1932年(昭和7年)〜 1999年(平成10年)
大江健三郎 1935年(昭和10年)〜
村上春樹 1949年(昭和24年)〜
笙野頼子 1956(昭和31年)〜
松浦理英子 1958(昭和33年)〜
島田雅彦 1961(昭和36年)〜

生年について言えば、大岡昇平と後藤明生の間に23年間あるので、もう一人1920年前後に生れた作家を入れれば埋まる感じがする(なぜ埋めなければならないかは不明)。

1919年生まれだと、金子兜太とか黒田三郎とか宗左近とか水上勉とか吉岡実とか。
1920年生まれだと、阿川弘之とか鮎川信夫とか石垣りんとか内村剛介とか近藤啓太郎とか塚本邦雄とか萩原葉子とか安岡章太郎とか。
1921年生まれだと、小峯元とか五味康祐とか庄野潤三とか寺内大吉とか。

小説だといわゆる「第三の新人」の名前も出てくるが、該当するとされる他の小説家は、遠藤周作1923年生まれ、吉行淳之介1924年生まれ、小島信夫はいくらか年上で1915年生まれ。

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あと大西巨人が生前の記述のとおり1919年生れだったらよかったのだが、今はすっかり1916年生まれだということになっている(2014年没)。

とはいえ、いいテクストが無ければそもそも取りあげようが無いのだった。

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2019年07月30日

ゾンビ的国民国家

「燃えあがる緑の木」はさすがに長くてすぐにはネタが見つからないので、笙野頼子『レストレス・ドリーム』(河出書房新社、1994年)の表題作(『すばる』1992年1月号掲載)について。
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「親指Pの修業時代」の同時期に雑誌掲載された連作短篇集。最終作の「レストレス・エンド」は「親指P」最終回が掲載された『文藝』1993年冬季号の翌号1994年春季号に発表されていたりする。

語り手がワープロに向かっている間に見る白日夢の話で、彼女はRPG的な世界でゾンビたちと戦うキャラ桃木跳蛇(ももき、とびへび)になっている。

京都を思わせる夢の街にあるゾンビたちを支配している「大寺院」について次のような記述がある。

 ここが大寺院の中心部に当たる、一年中桜の散らない、桜以外には何も見えない場所だ。支配に必要な大衆操作や監視用機器の研究所は、この広大な敷地の桜並木の中に収められている。大寺院といっても特に仏教関係ではなく、あらゆる宗派の混淆した、誰かに都合のいい権力と技術と制度の塊である。が、その都合のいい誰かが実は誰であるか本当のところ大寺院の関係者ももう判らないらしい。もしかしたらそれはもう数百年も前に死に絶えていて、今はただこの制度だけが歯止めの利かない、春の狂気のように自己増殖しているだけなのかもしれないのだった。


「桜」、「あらゆる宗派の混淆した、誰かに都合のいい権力と技術と制度の塊」「制度だけが歯止めの利かない、春の狂気のように自己増殖しているだけ」といった記述は、日本の「伝統」とされるもののパロディっぽい。

 そもそも総てのゾンビはここを支配する大寺院のコントロール下にある。主要なゾンビ達はそこで製造され、そのゾンビに殺されたものの多くがまたゾンビになり、それもまた大寺院のコントロール下に入る。もともと普段から大寺院の洗脳したプロパガンダしか喋らない彼らなのだが、カーニバルやその他の大切な儀式、或いはゾンビの脳では対応出来ないようなアクシデントの時には、脳自体が直接大寺院の支配下に入る場合がある。大寺院の中央に巨大なコンピューターがあり、ゾンビ達の脳がその端末機のように使われるらしい。 いや、もっとも夢の中の事であり、跳蛇自身もそんなに詳しくはないが、普段はゾンビなりに持っている自由意志のかけらさえもその時には眠ってしまうのである。 いや、とはいえ行動。パターンにはたいした差はない。洗脳と完全支配のかすかな違いだけだ。ただ、支配下に置かれたゾンビの場合、その間の記憶は欠落してしまう。


脳を支配されて動員されるゾンビたち。戦争でもいいし、高度経済成長でもいいし、オリンピックでも万博でもいい。またこの小説が発表された当時であれば、天皇の交代をにかかわる行事でもいい。動員され、しかしその記憶を失い、また次の機会も同じように動員されてしまうゾンビ=国民が登場する連作。
星野智幸「俺俺」も連想してしまう。
posted by kuwabara at 22:05| 大阪 ☁| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月29日

1990年前後

23日の続き。
「親指Pの修業時代」を読み終わる。
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第2部のCHAPTER 14に〈フラワー・ショー〉の巡業日程が決まらない理由について、
「不景気になったから?」私も訊く。
「それも大きな原因の一つだろうな。(略)」

という会話があるので、バブル景気が終了した後の話ではあるようだ。つまり、雑誌での連載が始まった1991年頃が当てはまるのだが、それを直接示す記述はない。1983年7月発売のファミコンや1989年4月発売のゲームボーイは出てくるけれども、1990年11月に発売されたスーファミがまだ出てきていない、ということくらいか。
当然直接天皇の死と代替わりについてはふれていないのだが、ただ終盤の不発に終わる去勢というのが気になる。作中世界でペニスを失った人は出てこないということについても。

性交にとどまらない人と人の間に生じる親愛な関係や共依存の関係が様々な形で語られているわけで、少し前に刊行されていた『スカートの下の劇場』とも関係づけて読めるだろう。性器や性器のようになった親指を見世物=商品として利益を得る場面もあるし。

『スカートの下の劇場』と大江健三郎「人生の親戚」を並べたこともあったが、トランスセックスの語り手が登場する「燃えあがる緑の木」(1993〜1995年)と「親指Pの修業時代」を並べるとどう見えてくるのか。
「人生の親戚」はベタな「娼婦/聖女」図式の下で書かれていたので、いろいろ厳しそうではある。
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2019年07月28日

『作者のひみつ(仮)』1章を公開

三日前に公開した序章の続きをまたnoteで公開している。

最後の方で次章で述べると書いた日本の話は、本当は1章に含めたかったのだが、2章との長さのバランスのために移したのである。
2章は、著作権(著作者財産権と著作者人格権)の概説、著作権と作者の特権性、ヨーロッパにおける著作権の歴史、それと同時代である17世紀から19世紀にかけての日本の出版状況、日本における著作権の導入と定着、のような話の流れになる予定である。

こちらは少し時間がかかるかもしれない。
posted by kuwabara at 20:48| 大阪 ☀| Comment(0) | 作者のひみつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月27日

ベルヌ条約

『作者のひみつ(仮)』2章では、作者の特別な地位と著作権の関係について述べるのだが、日本の著作権法だけではなく最初の国際条約であるベルヌ条約について確認しておこうと思って、ひとまずネットで調べてみた。

WIPO(世界知的所有権機関)のサイトに要約が載っていたが、基本的なことは1886年のベルヌ条約の時点で定められていたことはわかった。

(b) Subject to certain allowed reservations, limitations or exceptions, the following are among the rights that must be recognized as exclusive rights of authorization:

the right to translate,
the right to make adaptations and arrangements
of the work,
the right to perform in public dramatic, dramatico-musical and musical works,
the right to recite literary works in public,
the right to communicate to the public
the performance of such works,
the right to broadcast (with the possibility that a Contracting State may provide for a mere right to equitable remuneration instead of a right of authorization),
the right to make reproductions in any manner or form (with the possibility that a Contracting State may permit, in certain special cases, reproduction without authorization, provided that the reproduction does not conflict with the normal exploitation of the work and does not unreasonably prejudice the legitimate interests of the author; and the possibility that a Contracting State may provide, in the case of sound recordings of musical works, for a right to equitable remuneration),
the right to use the work as a basis for an audiovisual work, ,and the right to reproduce, distribute, perform in public or communicate to the public that audiovisual work.

The Convention also provides for "moral rights", that is, the right to claim authorship of the work and the right to object to any mutilation, deformation or other modification of, or other derogatory action in relation to, the work that would be prejudicial to the author's honor or reputation.


後半に出てくる"moral rights"が著作者人格権と訳されているのだが、"authorship"という単語とか、"the author's honor or reputation"といった言い回しが著作物と著作者を絶対に切り離せないものとして結びつける。
「名誉と声望」か……
posted by kuwabara at 21:40| 大阪 ☁| Comment(0) | 作者のひみつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月26日

『メディアとしての小説・小説についての教育(仮)』目次案

カテゴリの分類が難しくなるのだが、これまで発表した論文をまとめたものの仮目次を作ってみた。
(割合に従って「戦後文学」にしているが、「1890年代」でも「小説家小説」でもある。


 第一部 メディアとしての小説

エンサイクロペディアとしての小説―幸田露伴と「浮城物語」論争―
メディアとしての小説―一八九〇年の「報知異聞浮城物語」―
「嘉坡通信報知叢談」論―メディアとしての小説―
難民・亡命者の位置 明治期の政治小説から見えてくるもの
軍隊と身体―「挟み撃ち」あるいは「神聖喜劇」―
大江健三郎と自衛隊、その持続性
大江健三郎と原子力、そして天皇制
家庭・〈われわれ〉・民主主義―『新しい人よ眼ざめよ』―
昭和天皇裕仁の死と戦後四十年または五十年(仮)

 第二部 小説による小説についての教育

リアリズムへの悪意―現実と小説の(無)関係―
太宰治「俗天使」論―「聖母」と「私」、「私」と「作者」―
「憂鬱妄想狂」の「一人角力」 「善蔵を思ふ」論
武田泰淳「風媒花」論―「エロ作家」と「プロ作家」―
〈私〉を書くこと―〈戦後派文学〉の継承―
小説と〈私〉―『「雨の木」を聴く女たち』―
小説の教育は可能か―『キルプの軍団』『静かな生活』他―
1970年代の日本の〈小説家についての小説〉について
一九八〇年代の大江健三郎による自身の小説の再利用・再生の方法


第一部最後の仮題のものが、最近ずっと「戦後文学」カテゴリで書いている準備中の論で、9月中旬までに書いてしまう予定である。

それを除くとすべて既発表の論文に基づいており、こちらで読めるのだが、それぞれの部のテーマでまとめ、つなげるためのブリッジ的な文章も必要だし、逆に内容がかぶっているところを省略する必要もある。

『作者のひみつ(仮)』も平行して進めているので、そんなにすぐにはまとまらないでしょう。
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2019年07月25日

『作者のひみつ(仮)』序章を公開。

7月22日にふれた『作者のひみつ(仮)』の序章ができたので、noteに載せてみた。

noteは、4年半前に全て掲載済だとなぜか思いこんで〈その3〉までで放置していた「『夢野久作の日記』より」の続きもあるので、それもおいおい手を付けていきたいものである。
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