2019年09月04日

「また夢を見ている」(CV:工藤晴香)

「なにもしてない」の大嘗祭の影響で見た夢というのが、いろいろ意味づけておもしろい。
課題にしてもいいかもしれないくらいだ。

 夢の中で父方の田舎に私は泊まっていた。あてがわれた寝室の頭上に神棚があった。夢の中でがたりと神棚が鳴り、その扉が開く。私は眠いのでそれを閉める。が眠ろうとすると音を立ててまた開くのである。仕方なく、ベッドの上に立ってその神棚をのぞく。中はタナバタのように派手に飾ってある。五色のリボンがたなびき、内部は千社札のようなステッカーだらけだ。そのステッカー、黒字に白抜きで漢字二文字で、基衡、安徳、と記されている。だがそれで別になにかが判るというわけではない。いつのまにか、親戚の子供と称する髪の長いとても可愛らしい女の子が側にいるのだった。
 ーワタシバ十三歳デ、ハヤコ、トイウ名前、陸上部ニ入ッテマス、他二、ヒクオ、ト、カルオ、トイウ男ノ子ガイマス……ココカラ南、十六キロ、窓ノ外二。
 女の子の声は低く穏和なのに妙に軽薄である。世の中に冷めている印象がある。髪は平安時代のような細い真っ直ぐな黒い髪で、頭はとても小さく、目鼻立ちも父方とはちがって小さく整っている。本当に親戚の子供だろうかと、私はうさんくさく感ずる。窓の外の景色も記憶にある田園ではない。低木が続き、道路も無い。父の田舎へは随分行っていない……。


ノエイン もうひとりの君へ Essentials BD 全24話 600分収録 北米版 - 輸入アニメ専門店 えいびーす
ノエイン もうひとりの君へ Essentials BD 全24話 600分収録 北米版
posted by kuwabara at 23:46| 大阪 ☔| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月03日

裕仁から紀子まで

「なにもしてない」、読めば読むほどよくできている。いや、野間文芸新人賞受賞している小説にいまさらではあるが。

作中の時間自体は1990年11月中旬から下旬の半月あまりなのだが、実は1989年2月の大喪の礼(裕仁天皇の葬式)も絡んでいる。そして1990年
そして、ほんの5カ月前に皇族になったばかりの「紀子さん」を登場させて終盤へと向かう。

あらためて調べてみると、テレビ中継で見た天皇の代替わりの諸様相と語り手「私」の生活が混じり合って進む、メディアとしての小説の機能をフルに活用した小説だということがわかる。
posted by kuwabara at 21:26| 大阪 ☀| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

ダジャレ的なもの

笙野頼子「なにもしてない」で語り手「私」が1990年11月12日の「即位の礼」前後に「接触性湿疹」で苦しむのって、日本国憲法下で腫れ物扱いだった天皇に注目が当たるのと連動している、と気づいた。腫れ=ハレってのは言い過ぎだろうが。
posted by kuwabara at 23:13| 大阪 ☁| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月01日

1989年の昭和回顧

新聞データベースで調べた記事の内容は抜粋し終えたので、その当時の昭和回顧の本を読んでみた。
【中古】 昭和のこころ 文化人三十六人の熱き思い / 毎日新聞社 / 毎日新聞社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】 - もったいない本舗 楽天市場店
昭和のこころ 文化人三十六人の熱き思い / 毎日新聞社 / 毎日新聞社
もっともこれも『毎日新聞』の昭和を特集した連載コラムをまとめたものだったのだが、記者が政府・官庁の発表に基づいて書く記事とはいくらか違う。

裕仁天皇の戦争責任についての日本人の甘さを突く人もいれば、真っ向から戦争責任などあり得ないと反対する人もいて、なかなか幅広く人選している感じである。
そんな中、家永三郎が次のように書き出していて、大岡昇平と同じ頑固さを感じた。

大変化がつぎつぎと

 昭和六十何年という年月を一つのまとまった歴史的時期と考えることは、歴史学の立場からはできない。そもそも元号で時代を区分すること自体、学問的ではないのだが、それでも大正だけは、「大正デモクラシー」という呼び名が学界や一般言論界でほぼ通用しているし、同じ国家体制のなかで、さほど大きな変化なしに十五年弱という短期間で終わっているからまあよいとしても、明治と昭和は違う。多元的な可能性をはらみ、共和制国家への志向までふくんでいた自由民権運動と大日本帝国憲法下とでは、同じ明治でも、情況が大きく変わっている。昭和のほうは、それ以上の激変が続いていて、とうてい同一時期として一くくりにするわけにはいかない。
181-182頁
posted by kuwabara at 23:51| 大阪 ☁| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月31日

1990年の大嘗祭

新聞データベースで見つけた前回の「即位の礼」「大嘗祭」、それらに反対する人々の記事を読み直しているが、「政教分離」をうたった日本国憲法下での「大嘗祭」の扱いについて対立する意見が強調されている印象である。
天皇が神と一体化し神格が宿る儀式なのか、即位を報告し国の安寧と五穀豊穣を祈るだけの儀式なのか、という二つの意見が出て、本来は後者だったのが戦前・昭和初期に前者の見方が後付けされただけだ、という見方等を参考にしつつ宮内庁が後者を採用し、前者を否定することになった。一方で「宗教上の儀式」である、つまり信者ではない人から見れば「迷信」だということは認めているのであった。

その点、今回は前回を踏襲すればいいので主催する人たちは楽そうだ。過激派も活性化していないし。

大嘗祭 (ちくま学芸文庫 マー44-2) [ 真弓 常忠 ] - 楽天ブックス
大嘗祭 (ちくま学芸文庫) [ 真弓 常忠 ]

そういえば、今回の改元・践祚の際に、皇室の先祖である天照大神みたいな言い回しをしたメディアが批判されていたが、29年前も『毎日新聞』が「皇祖・天照大神と天神地祇」と書いていたり、読売新聞も「新穀を皇祖と八百よろずの神々に供え」と書いていたりする。
他の記事で紹介されていた宮内庁の文書に「皇祖及び天神地祇」と書いてあるので、おそらくそれををふまえているののだろう。今回もそんな流れで引用感覚だったのかもしれない。

posted by kuwabara at 21:51| 大阪 ☔| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月30日

1990年の過激派

新聞記事データベースで1990年の即位の礼・大嘗祭をキーワードにして検索をかけてみると、かなりの数の反派の集会や、反対する過激派の爆弾テロの記事が出てくる。迫撃弾まで撃っている。
同時代を生きていたはずなのに、よほどボーッとしてたのか、すっかり忘れていた。
覚めた目で見る若い世代も多い、という記事もあるので、おそらくそのうちの一人だったのだろう。

さて、「燃えあがる緑の木」の主人公(というにはいささか影が薄いのだが)「新しいギー兄さん」こと隆は大学時代過激派組織のメンバーで、そちらがらみのトラブルを避けるために谷間の村で生活していた、という設定になっている。
また、「燃えあがる緑の木」の教会を始めた後、昔の仲間に襲撃されて傷を負ったりもしている。

1990年の中核派などの運動の活発化がなければ、この隆の造形はなかったかもしれない。
もちろん、過激化した学生運動自体は『河馬に噛まれる』連作や長篇「キルプの軍団」で取りあげられているのではあるが。

河馬に噛まれる【電子書籍】[ 大江健三郎 ] - 楽天Kobo電子書籍ストア
河馬に噛まれる【電子書籍】[ 大江健三郎 ]
キルプの軍団【電子書籍】[ 大江健三郎 ] - 楽天Kobo電子書籍ストア
キルプの軍団【電子書籍】[ 大江健三郎 ]
posted by kuwabara at 21:07| 大阪 ☔| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月29日

1988年の「迷信」

【中古】 昭和の終焉 1989・9−1989・2 天皇と日本人 /朝日ジャーナル編集部(編者) 【中古】afb - ブックオフオンライン楽天市場店
昭和の終焉 1989・9−1989・2 天皇と日本人 /朝日ジャーナル編集部(編者)

前回の改元前後のメディアでの取り扱いを確認しようと思って、いくつか古い本を借りてきた。
既に当時から、天皇を人間として扱う見方と、人間以上の特別な存在として扱う見方とが共存していることを指摘する声はあったのが確認できた。しかも、それが真っ向から対立するのではなく、自分たちと違う立場があるのも理解しております、というようなゆるい共存だったのである。

『朝日ジャーナル』1988年10月7日号に掲載された「過ぎゆく「昭和」の光景」という記事には、名物右翼(大江健三郎「セブンティーン」にも彼をモデルとした「右翼」が出てくる)の次のような発言が紹介されている。

九月二六日

 大日本愛国党の赤尾敏総裁(九〇歳)は東京・大塚の自宅にいた。玄関わきに「天皇陛下御平癒祈願」の垂れ幕。
「数寄屋橋の街頭宣伝は、病気がお悪いと聞いてからやめている。親が病気なのにその枕元で演説するというのもおかしいでしょう」
 二一日に、「迷信」と笑うかもしれないが」二重橋と明治神宮へ行き、天皇の回復を祈ってきた、という。


自分の祈念する行動を「迷信」として笑う人がいる(特に『朝日ジャーナル』の記者ともなれば、そうだろう)ことをふまえつつ、しかし自分の行動の正当性について疑ってはいないという態度である。

しかし、臣民は天皇の赤子という主張はわかるが、結果、子の方が年下という奇妙なことにもなっているのだった。

【新品】【本】大江健三郎全小説 3 セヴンティーン/政治少年死す〈「セヴンティーン」第二部〉/幸福な若いギリアク人/不満足/ヴィリリテ/善き人間/叫び声/スパルタ教育/性的人間/大人向き/敬老週間/アトミック・エイジの守護神/ブラジル風のポルトガル語/犬の - ドラマ 本と中古ゲームの販売買取
大江健三郎全小説 3 セヴンティーン/政治少年死す〈「セヴンティーン」第二部〉
posted by kuwabara at 22:57| 大阪 ☔| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月28日

元号の替わり目の物語

ちょっとしたミスでデータにすることができないでいた大岡昇平「狡猾になろう」(『群像』1985年8月号)の使いたいところを取りこんだ。

 以来、様々の流派の消長があったが、もはや戦後ではない、といわれると癪にさわって来た。私は戦後四十年といって、切りのいい数字だから何か一区切りのようにいうのには反対である。歴史を天皇在世で区切ることにはむろん反対、一〇〇年一世紀に切るのも反対だ。社会に重大な変化の生じた年で切るべきで、戦後でいえば二十七年の単独講和、三十五年安保の反対運動、三十九年オリンピックと高度成長のピーク、四十八年の石油ショックというように、「時間」ではなく「コト」で、区切るべきだ、と思っている。
562-563頁


身も蓋もない冷静な見方だが、メディアにはそういう区切りが必要だったりするわけである。このエッセイ自体が「私と「戦後」 戦後四十年目に」という特集の依頼に応じたもので、まあ、こういう批判が出ることも編集者は織り込み済みってことだろう。

意味が無いとわかっていても意味があるかのようにふるまう、意味があるものとして書くということがメディアにおいては必要とされており、ではどういう物語を選んだのか、というところに検討の余地があるのだった。
posted by kuwabara at 21:07| 大阪 ☔| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月27日

様々な「迷信」

以前、「なにもしてない」に出てくる「迷信」という言葉についてふれたが、一箇所だけ、「接触性湿疹」に苦しむ「私」が「民間療法」を試してみた、という話の後に以下のような記述があった。

 ひとりで生活し夢や幻想にのめり込むようになってからの私は、思い込みの激しい人々ならば霊現象と呼ぶかもしれない状態に結構遭遇していた。だがそれらの多くはただの悪夢の領域に止まっており、また幻覚にしても予備知識がなければ出てこられない程度のものばかりだった。怖くはなかった。霊という文化に刃物やお経という文化がよく効いたりするところが我ながらマヌケだとは思ったのだが、自分の知らない心の底の方でコントロールの出来ない迷信がうごめいている状態には興味が湧いたのだった。外界に手が出ない分内面に行った。
 生きている限り、どこかに住まなくてはならないという類の理性は保たれたままで、ここ数年、私は幻への逃避とたえまなく戦っていた。例えば、予知夢、など信じてもいないのに利用していた。 そしてその信じ方は無意味にただ屈折するのだった。
 夢が当たるのは単純な意識下のシミュレーションに過ぎないと自分に言い聞かせ、信仰に入ったり神秘主義に溺れたりした覚えはない。デジャビュでない事は夢日記を見れば明らかだったが、うのみにはせず、そのくせ一応心には留めておいた。もっとも、どうせ夢の象徴などというものはどんな風にでも解釈が出来た。


「迷信」であると「理性」ではわかっているし、様々な知識に基づいて否定してみるが、どこか「心」に引っかかった状態から逃れられない。
この「私」の状態が、当時の、そして現在の皇室を見る多くの人々の視線と共通しているわけである。

『笙野頼子 〈現代女性作家読本〉』(鼎書房、2006年)という本を借りてきて「なにもしてない」を論じているところを読んでみたが、天皇制と結びついてはいなかった。
他の小説を論じたところも念のため読んでみる。
posted by kuwabara at 21:33| 大阪 ☔| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月26日

「顕教と密教」説の元祖

先月戦前の天皇制の「顕教と密教」についてふれたが、一番最初にその説明をした本を念のため読んでみた。
【中古】 現代日本の思想 その五つの渦 岩波新書/久野収(著者),鶴見俊輔(著者) 【中古】afb - ブックオフオンライン楽天市場店
現代日本の思想 その五つの渦 岩波新書/久野収(著者),鶴見俊輔(著者)

60年以上前、1956年に出版された古典的名著というやつで、細かい記述についての記憶は曖昧だったが、だいたい把握していた内容のとおりだった。
「IV  日本の超国家主義ー昭和維新の思想ー」の「天皇の国民、天皇の日本」という節より引用しておく。

 第二に、天皇は、国民全体にむかってこそ、絶対的権威、絶対的主体としてあらわれ、初等・中等の国民教育、特に軍隊教育は、天皇のこの性格を国民の中に徹底的にしみこませ、 ほとんど国民の第二の天性に仕あげるほど強力に作用した。
 しかし天皇の側近や周囲の輔弼機関からみれば、天皇の権威はむしろシンポル的・名目的権威であり、天皇の実質的権力は、機関の担当者がほとんど全面的に分割し、代行するシステムが作りだされた。
 注目すべきは、天皇の権威と権力が、「顕教」と「密教」、通俗的と高等的の二様に解釈され、この二様の解釈の微妙な運営的調和の上に、伊藤の作った明治日本の国家がなりたっていたことである。顕教とは、天皇を無限の権威と権力を持つ絶対君主とみる解釈のシステム、密教とは、天皇の権威と権力を憲法その他によって限界づけられた制限君主とみる解釈のシステムである。はっきりいえば、国民全体には、天皇を絶対君主として信奉させ、 この国民のエネルギーを国政に動員した上で、国政を運用する秘訣としては、立憲君主説、すなわち天皇国家最高機関説を採用するという仕方である。
 天皇は、国民にたいする「たてまえ」では、あくまで絶対君主、支配層間の「申しあわせ」としては、立憲君主、すなわち国政の最高機関であった。小・中学および軍隊では、「たてまえ」としての天皇が徹底的に教えこまれ、大学および高等文官試験にいたって、「申しあわせ」としての天皇がはじめて明らかにされ、「たてまえ」で教育された国民大衆が、「申しあわせ」に熟達した帝国大学卒業生たる官僚に指導されるシステムがあみ出された。
131-132頁


非知識人(「国民大衆」)と知識人(「帝国大学卒業生たる官僚」)とで二つの天皇観、二つの国家観が分け持たれているというのが、この説のポイントである。
現在の状況は、誰もが「シンポル的・名目的権威」であると憲法に記され、また多くの人が考えているが、そのレイヤの上にうっすらと「権威」と見なすレイヤが重なっている、と考えられる。
posted by kuwabara at 22:03| 大阪 ☁| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする