2019年02月24日

『文学・芸術・文化』30巻1号、リポジトリにて公開

こちらのエントリで予告していたように、近畿大学の学術情報リポジトリに『文学・芸術・文化』30巻1号が公開され、「自然主義の小説と通俗性―排除される佳人―」が掲載された。

この論文の続きで、「自然主義」には分類されない文学史上で重要作品とされているものにおいて、容貌がどのように描かれているかを扱うということも考えている。一気に範囲が広がるので、気長に調べます。

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あ、表紙に美人画が……
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2018年06月02日

明治の小説における〈才子佳人〉の物語についての論文、落ち穂拾い

7年前に諸々の事情で中断していた明治の小説における〈才子佳人〉の物語についての論文をひとまず投稿した。

大きなところは変えず、島崎藤村や田山花袋の小説のストーリーや描写の特質を確認するために、先行するハウプトマン「寂しき人々」を引用し、また比較対象として泉鏡花と夏目漱石における美人の描写を追加した。
しかし、あらためて夏目漱石の小説のメタ性を確認することになりましたね。
ネットで公開されたらまたここに情報を載せますので、詳細は論文をご覧下さい。

ところで、「寂しき人々」をひさびさに読み直して気づいたことがあったので、ここで紹介しておこう。

島崎藤村「春」(1908年)の百十七節で岸本捨吉が仕事を求めて「陶器画を専門にする大きな仕事場」に行き、しかし何もできずに帰ってくるという場面がある。今の新潮文庫だと、295頁から300頁のあたり。尊敬する友人や愛する女性に死なれ、また家族にもトラブルが起り、追いこまれて鬱状態になっている岸本捨吉は生活の糧を得ようとするが、文学・芸術にかかわる仕事には関心を持てない。

という訳で、何もできずに帰ってくるのはいいのだが、なぜ「陶器画」なのだろうか。もちろん、いくらか「芸術」に近いが、独創性とは無縁な仕事ということで出て来るのだろうが、いささか唐突ではある。
「春」が島崎藤村の体験に基づいているということからすると、実際にそういうことがあったから、と考えることもできる。
しかし、実は「寂しき人々」にはこういう台詞がある。原文(PROJEKT GUTENBERG-DE)と森鷗外訳を並べてみよう。

Frau Käthe. Na, ich kann zum Beispiel Porzellan malen. Das Service ist von mir.

妻。まあちよつと云つて見れば、陶器画をかいても好うございますわ。あそこにあるお茶碗の画はわたくしがかきましたの。


この台詞は「寂しき人々」の主人公ヨハンネスの妻ケエテが、自身がもう夫にとって必要ではない、だから自分の力で生活をする、ということを語っている中で出て来る。
おそらく、ここではおよそ実現できそうもない話として「陶器画」を描く仕事が扱われているのであり、島崎藤村はそれを実際に自分の小説の登場人物にやらせてみたのではないだろうか。

なお、森鷗外の翻訳は「春」の3年後に発表され、上演もされているのだが、「陶器画」という表記が一致しているのは偶然なのだろうか。
島崎藤村や田山花袋が自分の小説の元ネタにしているのを知っていて、わざと「春」と同じ表記を採用したという嫌味なのではないか、という気もしてくる。
根拠は全くありません。

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島崎藤村『春』新潮文庫
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2011年05月03日

明治の小説、しばらく休み

近代の小説における女性の容貌の描写・記述が〈才子佳人〉の〈物語〉を期待させる。しかし、「自然主義」を標榜する小説は〈物語〉を排除することをめざし、そのための方策の一つとして容貌の描写・記述を避けるようになる。この見取り図についての論文を書き直す準備をしていたのだが、他の仕事の依頼が入ったので、しばらくそちらはお休みになる。なので、ここに書くことも少なくなりそうだ。

1890年前後の動向として『郵便報知新聞』に掲載された小説について再検討し、かつその時期から小説を書き始めたが1910年前後には「自然主義」の時流に乗った小説を書くようになる徳田秋声の小説を調べる、という作業の途中だった。ハウプトマン「寂しき人々」をプレテクストにした小説が複数の小説家によって同時期に書かれ、それが〈才子佳人〉の〈物語〉に新しい光を当てた点など、いくつか面白い材料が見つかっていた。
9月中旬締切の依頼原稿が終わったらまた戻ってきます。

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2010年11月03日

美人の登場する二長編

しばらく更新していない間に、大学院の授業で夏目漱石「明暗」と有島武郎「或る女」を読んでいた。



どちらも女性の外見、器量が問題になっている小説で、「明暗」のお延は自分の容貌が従妹よりも劣っていることを常に意識しているし、「或る女」の葉子は自分の美貌を資本として生きる糧を得、また美しい妹愛子をライバルとして常に敵対視している。

ただ、ここでは〈才子佳人〉の〈物語〉は起動しないようなキャラクター設定になっている。「明暗」の津田は立身出世など望んではいないし、文学的な立身出世を望んでいたらしい「或る女」の木部は小説開始時の時点で既に葉子から見捨てられている。

そのかわりこの二つの小説では、男性にとっての金銭と女性にとっての容貌という当時の(現在も?)社会をわたっていくための武器がストーリーの軸となっている。
それは〈資本〉の蓄積と蕩尽にかかわる〈物語〉とまとめることができるかと思うが、さてどのように発展させていけばいいのだろうか。

余談
amazonで『明暗』と『或る女』を検索したところ、どちらもマンガ化されたものがあることがわかった。いったい登場人物たちはどのように描かれているのだろうか? 津田はおそらくかなりの美男のはずなのだが。


posted by kuwabara at 23:02| 大阪 ☁| Comment(0) | 小説の描写について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする