〈クワバラのテクスト〉に近畿大学文芸学部の紀要に掲載した論文と、坂口安吾研究会の機関誌に掲載したエッセイの情報を追加した。
後者は〈坂口安吾の代表作〉という特集に寄稿したものだが、指定字数に合わせるためにカットした箇所を元に戻したロング・バージョンで、1ページ分(900字ほど)長くなっています。
同じ号に坂口安吾の将棋に関する記事の不明だった初出についての報告が載っていたり、昨年9月の坂口安吾研究会の研究集会で将棋についての発表があったりと(詳しくはこちらを参照のこと)、瞬間的に安吾と将棋が盛り上がっているということなのでしょうか。
いや、日本近代文学会の例会でも将棋が特集されたりするので、何か文学と関連づけて将棋を気にかけている人は多いのかもしれない。こういうのって末期症状としても現れたりもするのですが。
ちゃんとコンピュータ(AI)と将棋・コンピュータ(AI)と文学ということまで考えてもらいたいものである。
前者は前からここで書いていた〈小説家についての小説〉についてのもの。そのうちレポリトジ(電子論文)で公開されるので、そしたらまたリンクし直します。
2016年04月30日
2016年03月05日
「1970年代の日本の〈小説家についての小説〉について」
以前から取り組んでいた「小説家小説」についての論文は、再校も終えて掲載誌ができあがってくるのを待っている段階。
掲載誌は勤務先の紀要『文学・芸術・文化』となった。こちらのリポジトリで公開しているので、掲載される27巻2号もそのうちネットでも読めるようになるはず。
なお、これまでの研究と差別化し、また対象としている小説の特徴をより明らかに示すものとして、回りくどくはあるが「小説家についての小説」という言葉を使うことにした。
いや、本当に回りくどいタイトルで申し訳ない。
この次は森田思軒について考えてみる予定。
以前から森田思軒と内田魯庵の翻訳・小説におけるメディア性・エンサイクロペディア性を取り上げてみようと思っていたので、久々に1880年代、さらに1890年代について論じることになるだろう。
掲載誌は勤務先の紀要『文学・芸術・文化』となった。こちらのリポジトリで公開しているので、掲載される27巻2号もそのうちネットでも読めるようになるはず。
なお、これまでの研究と差別化し、また対象としている小説の特徴をより明らかに示すものとして、回りくどくはあるが「小説家についての小説」という言葉を使うことにした。
いや、本当に回りくどいタイトルで申し訳ない。
この次は森田思軒について考えてみる予定。
以前から森田思軒と内田魯庵の翻訳・小説におけるメディア性・エンサイクロペディア性を取り上げてみようと思っていたので、久々に1880年代、さらに1890年代について論じることになるだろう。
2015年10月12日
〈小説家についての小説〉
一年以上取り組んでいた小説家が語り手で、自らの過去に書いた小説のタイトルに言及し参照し引用する小説についての論文を書き終えて、原稿を提出した。
準備のために小説の該当個所を抜粋したファイルを作り始めたのが2014年9月4日、論文のファイルを作ったのが2015年2月25日となっているので、まる一年以上準備して書くのに9ヶ月弱かかった計算である。途中で別の原稿が入ったので中断していた時期もあったのだが。
論文の構成としては大江健三郎の1980年代の小説の特徴を確認し(それについては既に『昭和文学研究』掲載の論文でふれている)、その方法を保証したものとして後藤明生と阿部昭の1970年代の小説にふれ、また彼らの方法をさらに導いたものとして葛西善蔵に迂回し(彼についても『大江健三郎論』の中で既に論じている)、また後藤明生・阿部昭に戻ってから、最後にまた大江健三郎にふれて終わるという構成になっている。
タイトルは「1980年代の日本の〈小説家についての小説〉について」という少し回りくどいものに。
近畿大学文芸学部の紀要『文学・芸術・文化』に掲載される予定。電子版もあるので、そちらでも読めるようになるはずです。
準備のために小説の該当個所を抜粋したファイルを作り始めたのが2014年9月4日、論文のファイルを作ったのが2015年2月25日となっているので、まる一年以上準備して書くのに9ヶ月弱かかった計算である。途中で別の原稿が入ったので中断していた時期もあったのだが。
論文の構成としては大江健三郎の1980年代の小説の特徴を確認し(それについては既に『昭和文学研究』掲載の論文でふれている)、その方法を保証したものとして後藤明生と阿部昭の1970年代の小説にふれ、また彼らの方法をさらに導いたものとして葛西善蔵に迂回し(彼についても『大江健三郎論』の中で既に論じている)、また後藤明生・阿部昭に戻ってから、最後にまた大江健三郎にふれて終わるという構成になっている。
タイトルは「1980年代の日本の〈小説家についての小説〉について」という少し回りくどいものに。
近畿大学文芸学部の紀要『文学・芸術・文化』に掲載される予定。電子版もあるので、そちらでも読めるようになるはずです。
2015年08月23日
二葉亭四迷・芥川龍之介・太宰治のメタフィクション
〈クワバラのテクスト〉に「リアリズムへの悪意―現実と小説の(無)関係―」を追加した。
もう13年前に書いたものだが、今〈小説家小説〉について考えているので、以前同じようなことを書いたものを自分で確認しているわけである。
読み直すと、メタフィクションであるという点と同時に、小説を商品として売るということを前面に出している小説を取り上げているのがポイントである。
それに比べると、1970年代以降の〈小説家小説〉は締切は話題になるものの、それが商品であるということにはふれないものばかりである。小説家という職業・存在の社会における地位や役割は話題になるものの、どのように収入を得ているかまでは具体的にふれられていない。
文学も含めた出版業界が高度経済成長やバブル経済によってパイを大きくし、その恩恵を多くの小説家が受けてきたのだが、渦中においてそれを小説の中で描いた小説家はどうもいないようである。
もっとも1930年代のメタフィクションでも正面から原稿料や印税のことを書いた小説は多くないので、二葉亭四迷の「平凡」や葛西善蔵の小説はかなり独特なのかもしれない。
もう13年前に書いたものだが、今〈小説家小説〉について考えているので、以前同じようなことを書いたものを自分で確認しているわけである。
読み直すと、メタフィクションであるという点と同時に、小説を商品として売るということを前面に出している小説を取り上げているのがポイントである。
それに比べると、1970年代以降の〈小説家小説〉は締切は話題になるものの、それが商品であるということにはふれないものばかりである。小説家という職業・存在の社会における地位や役割は話題になるものの、どのように収入を得ているかまでは具体的にふれられていない。
文学も含めた出版業界が高度経済成長やバブル経済によってパイを大きくし、その恩恵を多くの小説家が受けてきたのだが、渦中においてそれを小説の中で描いた小説家はどうもいないようである。
もっとも1930年代のメタフィクションでも正面から原稿料や印税のことを書いた小説は多くないので、二葉亭四迷の「平凡」や葛西善蔵の小説はかなり独特なのかもしれない。
2015年08月19日
ある見立て
1920年からの15年と、1970年からの15年を重ねて考えることができるのでは、というアイディアである。
こういうのはこじつければいくらでも都合のいい材料を持ってくることができるし、逆に都合の悪い材料には目をつぶることができてしまうので、ネタ9割で読んでいただきたい。
1920年は第一次世界大戦後の時代、1970年は学園闘争後の時代。
1920年代は後に「私小説」と呼ばれる小説が多く書かれるようになり、それは「小説の小説」というメタフィクションを生み出す。1970年代は少し前に「内向の世代」と呼ばれた小説家たちが本格的に活躍し始め、それは様々な小説家を主人公とした小説を生み出す。
1935年は文学が戦争や政治への協力という形で活況を迎える時代の幕開け、1985年はバブル経済の幕開けで文学もそれと無縁ではいられなかった。
これらの時期の6年後、1941年は太平洋戦争、1991年は湾岸戦争、といずれもアメリカがアジアの国と戦争を始めた。
戦時でもなく平時でもないという過渡的な時期に、小説とは? 小説家とは? という問いを小説の中で答えようとする動きが半世紀の時を挟んで繰り返されたということなのでしょうか? 「小説家小説」とは余裕と緊張の産物なのでしょうか?
こういうのはこじつければいくらでも都合のいい材料を持ってくることができるし、逆に都合の悪い材料には目をつぶることができてしまうので、ネタ9割で読んでいただきたい。
1920年は第一次世界大戦後の時代、1970年は学園闘争後の時代。
1920年代は後に「私小説」と呼ばれる小説が多く書かれるようになり、それは「小説の小説」というメタフィクションを生み出す。1970年代は少し前に「内向の世代」と呼ばれた小説家たちが本格的に活躍し始め、それは様々な小説家を主人公とした小説を生み出す。
1935年は文学が戦争や政治への協力という形で活況を迎える時代の幕開け、1985年はバブル経済の幕開けで文学もそれと無縁ではいられなかった。
これらの時期の6年後、1941年は太平洋戦争、1991年は湾岸戦争、といずれもアメリカがアジアの国と戦争を始めた。
戦時でもなく平時でもないという過渡的な時期に、小説とは? 小説家とは? という問いを小説の中で答えようとする動きが半世紀の時を挟んで繰り返されたということなのでしょうか? 「小説家小説」とは余裕と緊張の産物なのでしょうか?
2015年08月16日
締切小説
小説家が登場して小説を書いている小説について調べたり考えたりしているのだが、小説家を「芸術家」としてではなく「商人」として考える時に重要なのは、かれらが締切を与えられて小説を書いているという点である。
では、小説家が締切に追われているというイメージはいつくらいから流通し始め、かつ小説に登場する小説家が締切に向けて小説を書いている(または書いていない)姿が描かれるようになったのか。
そんなに古い起源に遡る必要も無いので(江戸時代の黄表紙にも出てきそうだ)、知っている限りの情報を書いておく。
まずは志賀直哉。「和解」(『黒潮』1917年11月号)の語り手の小説家「自分」は締切に追われて当初の小説の構想を変えたり、経験したばかりの父との和解を小説にした、と語る。
芥川龍之介「葱」(『新小説』1920年1月号)では、書き手「おれ」の以下のような言葉で始まる。
この「おれ」は小説の本編部分になっても顔を出し続け、小説を書き終えた後には捨て台詞のような言葉を残している。
同じ芥川龍之介の「奇遇」(『中央公論』1921年4月号)は旅行に出発しようとしている小説家と、締切がきている原稿を持って帰ろうとしている編輯者とのダイアローグとして書かれている。この中で小説家が編輯者に渡そうとする原稿の候補の中に「文芸に及ぼすジャアナリズムの害毒」という論文(題名だけで内容は不明)出版と小説の関係について何とも皮肉めいた小説である。
この二つの小説は〈青空文庫〉で読めます。
葛西善蔵が『新潮』1923年1月号に発表した「歳晩」に「新年の雑誌の期限に迫られながら」という記述があり、さらに結末部分には「十二月十一日午後、厳しい原稿催促の書留別配達の手紙を受取って」と書かれている。その「雑誌」というのが、まさに「新潮」なのかどうかはわからないが、「歳晩」は一段組の『葛西善蔵全集』では2ページほどしかなく、いかにも締切に追われてやっつけた仕事という感じではある。
もう少し調べてみるつもりだが、小説家が新聞社や出版社の社員ではなくフリーランスの職業として成り立つようになった時代に変化が生まれているのではないだろうか。
では、小説家が締切に追われているというイメージはいつくらいから流通し始め、かつ小説に登場する小説家が締切に向けて小説を書いている(または書いていない)姿が描かれるようになったのか。
そんなに古い起源に遡る必要も無いので(江戸時代の黄表紙にも出てきそうだ)、知っている限りの情報を書いておく。
まずは志賀直哉。「和解」(『黒潮』1917年11月号)の語り手の小説家「自分」は締切に追われて当初の小説の構想を変えたり、経験したばかりの父との和解を小説にした、と語る。
芥川龍之介「葱」(『新小説』1920年1月号)では、書き手「おれ」の以下のような言葉で始まる。
おれは締切日を明日に控えた今夜、一気呵成にこの小説を書こうと思う。いや、書こうと思うのではない。書かなければならなくなってしまったのである。
この「おれ」は小説の本編部分になっても顔を出し続け、小説を書き終えた後には捨て台詞のような言葉を残している。
同じ芥川龍之介の「奇遇」(『中央公論』1921年4月号)は旅行に出発しようとしている小説家と、締切がきている原稿を持って帰ろうとしている編輯者とのダイアローグとして書かれている。この中で小説家が編輯者に渡そうとする原稿の候補の中に「文芸に及ぼすジャアナリズムの害毒」という論文(題名だけで内容は不明)出版と小説の関係について何とも皮肉めいた小説である。
この二つの小説は〈青空文庫〉で読めます。
葛西善蔵が『新潮』1923年1月号に発表した「歳晩」に「新年の雑誌の期限に迫られながら」という記述があり、さらに結末部分には「十二月十一日午後、厳しい原稿催促の書留別配達の手紙を受取って」と書かれている。その「雑誌」というのが、まさに「新潮」なのかどうかはわからないが、「歳晩」は一段組の『葛西善蔵全集』では2ページほどしかなく、いかにも締切に追われてやっつけた仕事という感じではある。
もう少し調べてみるつもりだが、小説家が新聞社や出版社の社員ではなくフリーランスの職業として成り立つようになった時代に変化が生まれているのではないだろうか。
2015年05月24日
宇野浩二と葛西善蔵の小説家小説を論じた論文を公開
『大江健三郎論』のうち、「小説と〈私〉―『「雨の木」を聴く女たち』―」の前半部分を〈クワバラのテクスト〉で公開した(pdfファイルが開きます)。なお、「雨の木」には「レイン・ツリー」のフリガナがつくので脳内補正をよろしく。
後半は作業途中なので、作業終了までもう少し待ってもらいたい。
この前半では大江健三郎については全くふれず、宇野浩二と葛西善蔵について論じている。
この前公開した「「憂鬱妄想狂」の「一人角力」 「善蔵を思ふ」論」の前にも葛西善蔵については論じていた訳である。実は修士論文のテーマにしようかとも思っていたくらいなのですが。
ここで書いたことは次の論文ではもう一度繰り返して書く必要もあるかと思うのだが、しかし20年くらい経ってまた同じことを考えることになるとは面白いものでありますよ。
後半は作業途中なので、作業終了までもう少し待ってもらいたい。
この前半では大江健三郎については全くふれず、宇野浩二と葛西善蔵について論じている。
この前公開した「「憂鬱妄想狂」の「一人角力」 「善蔵を思ふ」論」の前にも葛西善蔵については論じていた訳である。実は修士論文のテーマにしようかとも思っていたくらいなのですが。
ここで書いたことは次の論文ではもう一度繰り返して書く必要もあるかと思うのだが、しかし20年くらい経ってまた同じことを考えることになるとは面白いものでありますよ。