2019年05月11日

小説の地位・新聞小説

昨日の続きでイギリスの18世紀・19世紀の小説のあり方について。

亀井秀雄『小説論』で坪内逍遥がハイパー近代主義に陥った結果として、まだヨーロッパでも主張され始めたばかりだった小説を芸術というイデオロギーを、「小説神髄」で自明の前提としてしまっている旨が説明されていたが、この本でも十九世紀のイギリスには「小説は買うほどのものではない、という小説にたいする低い評価があった」と書かれている(76頁)。貸本屋が隆盛した理由を述べる中での記述だが、この点は日本も同じ事情なのだろう。

また、「新聞・雑誌連載小説」という章では、小説の媒体が取りあげられており、どうやらイギリスで新作の小説が新聞に連載されるのは、1870年代に入ってからで、日本で翻訳を中心に新聞に小説が連載され始める10年くらい前でしかないのだった。

たとえばこの論文で扱った『郵便報知新聞』の「報知叢談」がそうなのだが、この連載を主導した森田思軒がイギリスを訪れた頃がちょうど新聞連載小説が普及し始めた頃だったことになる。
森田思軒や矢野龍渓はよもや新聞小説がそんなに目新しいものとは知らなかったのではなかろうか。
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2016年09月24日

長山靖生『奇異譚とユートピア 近代日本驚異〈SF〉小説史』

この本、大学図書館に納入されていたので借りて読んでいたが、やはり手元に置いて方がいいと考えて購入。

おそらく数百部単位でしか刷られていない本のうち2冊が今我が家に(笑)。

IMG_2689.JPG

元々『SFマガジン』に連載されていたものだが、早川書房ではなく中央公論新社からの発売。その辺の事情は全く書かれていないのだが、(広い意味での)オタク寄りの最近のハヤカワさんでは扱いにくい題材かもしれませんな。

明治時代のSFや未来記的ノンフィクションを紹介するだけではなく、その背景となる歴史事情や文化事情も丁寧に追っている。
それと、従来の文学史で取り上げられているような文学者の動きや発言と、SF的な想像力との対立・緊張関係も随所に取り上げられていて、文学の可能性を広く考えるきっかけにもなると思います。

最終章では「浮城物語」論争を取り上げているのだが、今、森田思軒と内田魯庵について考えているので、自分のモチーフを確認したということもあるのでした。
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2016年03月14日

2010年代の森田思軒の研究書2冊

前の記事で次は森田思軒について考えてみると書いたが、そちらに関心を戻した理由としては、森田思軒の出身地にある笠岡市立図書館が編集した『森田思軒資料集 2015』を送っていただき、以前考えていたテーマを思い出したということもある(紹介記事編集した司書の方についての記事)。いや、完全に失念しているわけではなかったですが。

この『資料集』には「参考文献一覧」も入っており、それによると「『嘉坡通信報知叢談』論」を発表した2009年以降、二冊森田思軒についての研究書が出ている。

まずは2012年に出たこちら。


これは、翻訳学の成果に基づいて森田思軒の翻訳観を再検討した上で、「探偵ユーベル」の翻訳の様相を論じた研究である。

翻訳学の用語として「起点テクスト志向」と「目標テクスト志向」というものが出て来る。前者は原文を忠実に翻訳することを目指し、原文が異なる言語・異なる文化の元に生み出されたことから来る異和感を生じさせることを避けない。一方後者は訳文の言語としての自然さを求め、原文の言語・文化の異質性を意識させないようにする。慣れた言葉を使うなら原文尊重と訳文尊重ってところでしょうか。
この志向はどちらが正しいというものではなく、実際森田思軒は両方の志向を尊重するような言説を残している、というのがこの本の主張の一つである。

翻訳学の中では、それぞれの言語を使用している地域の政治的地位の差が二つの志向と結びついているという考え方があるようで、(ここからは自分で考えた例だが)たとえば政治的に優位である欧米で使用する言語で書かれた文章を近代の日本で翻訳すると「起点テクスト志向」になるし、戦後世界のヘゲモニーを握ったアメリカで非欧米圏の言語で書かれた文章を英語に翻訳すると「目標テクスト志向」になる、ということになる。「起点テクスト」の文化を理解する価値のあるものととらえるかどうかで二つの志向が選択されてくる。
その点、最近の日本における小説の翻訳が、より日本語としての読みやすさを目指しているように見えるのは関係があるんでしょうかね?

もう一つは2015年に出たこちら。ちょうどやまなし文学賞を受賞されたところですね。


サブタイトルに「坪内逍遥・森田思軒・若松賤子」とあるように、森田思軒だけを取り上げているのではなく、小説の翻訳を中心に原文テクストの持つ政治性と訳文の持つ政治性を比較することで明治時代の文学が担った政治性を明らかにしようとした研究である。

不思議なのは前の一冊に対する言及が全くないことで(なので本書冒頭の「翻訳研究」についての記述は最新の動向をふまえたものにはなっていない)、このへんは日本近代文学研究とコミュニケーション学の一部である翻訳学では畑違いで接触がないということなのだろう。
『近代日本の翻訳文化と日本語』の方には『明治の翻訳ディスクール』の一部となった論文への言及もあるのだが、いまどきは多くの人に献本するだけの冊数を著者が得られるということもないようだし、いや、せちがらないですなあ。
そういう自分自身も『森田思軒資料集 2015』を送ってもらえなければ、気づけなかったのかもしれないのですがね。
あらためて、ありがとうございます。
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2015年07月21日

ヴェルヌの子供たち

学生の卒業論文の関係で、トーベ・ヤンソンについて調べたり読んでいたら、意外な名前に出くわした。

頭をひねったあげく、本のタイトルは、「パパをさがすムーミントロール」−「グラント船長をさがす子どもたち」にならって−にしたかったのですが、出版社は「小さなトロール」を入れようとしました。そのほうが読者にわかりやすいというのです。
この物語は、わたしが読んで好きだった、子どもの本の影響をうけています。たとえばジュール・ヴェルヌやコッローディ(青い髪の少女)などが、ちょっぴりずつ入っています。でも、それがいけないということはありませんよね?(トーベ・ヤンソン『小さなトロールと大きな洪水』まえがき、冨原眞弓訳、講談社)

なるほど「ムーミン」とジュール・ヴェルヌというのは、原作を読むとそんなに意外ではない。

その後、別のところ、日本文学協会研究発表大会で、自らヴェルヌの名前を口にすることになった。

押川春浪「海底軍艦」についての発表で、春浪に大きな影響を与えた矢野龍渓「浮城物語」には少年が出てこないのに、海底軍艦で日出雄少年が登場するのは若松賤子訳「小公子」を取り入れたものという内容だった。
作中で日出雄が「小公子」にたとえられるところがあるのでそれ自体は的外れではないのだが、それに加えて『郵便報知新聞』紙上でおそらく森田思軒訳の「グラント船長の子どもたち」が途中まで連載されていたことも考えるべきではないか、と指摘したのであった。

トーベ・ヤンソン1914年生まれ、押川春浪1876年生まれ。年は離れていても、共にヴェルヌ・チルドレンなのであった。

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2012年06月03日

〈本格ミステリ〉・〈自然主義〉

小森健太朗『探偵小説の様相論理学』(南雲堂)を著者からご恵贈いただく。



題材的には近年のミステリや、一見ミステリと関係なさそうだが実はその周辺領域にある作品(「神のみぞ知るセカイ」や「涼宮ハルヒの消失」など)を取り上げているので、ここで取り上げるべき書籍では無さそうだが、たとえば以下の〈本格ミステリ〉についての記述は〈自然主義〉という概念・ジャンルと共通する問題が指摘されていると思ったのだった。

清張の理解では、旧来の探偵小説は社会性がないがしろにされ、動機が軽視されたことになっている。たとえば英米の黄金時代の本格探偵小説作品が、松本清張の言うように、リアリズムを失ったものであったか、動機が軽視されていたものであったかどうかは疑問の余地がある。しかし、この清張の提言は世間では拡大解釈され、いわゆる「本格探偵小説」は時代遅れであり過去の遺物であるという見かたの形成にもつながっていく。(p39)

松本清張「推理小説独言」(1961年)で語られた認識の不正確さを指摘し、しかしそれが「日本の推理小説を規定するイデオロギー」となったことを問題化した箇所であるが、これは日本の〈自然主義〉をめぐる認識、たとえば中村光夫「風俗小説論」(1951年)が語る誤った認識が(後に)イデオロギーとして広まったこととよく似ている。
どちらも自らの寄って立つ観点を正統化するための悪役とすべく、不正確な(〈本格ミステリ〉〈自然主義〉)イメージを打ち出している、という点でも共通している。

中村光夫による〈自然主義〉イデオロギーは最近では大塚英志によって再生され、さらなる害悪をまき散らしているわけだが、松本清張の〈本格ミステリ〉イデオロギーも誰かによって生き返り続けているのだろうか?

しかし、松本清張が1909年生まれで中村光夫が1911年生まれか、年齢近いのね……
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2012年01月10日

「死」という方法

夏目漱石「虞美人草」の最終盤、許嫁のいる小野を誘惑したにもかかわらず、その企み・望みを果すことができなかった藤尾はヒステリー症状を起した末に、絶命する。



従来の評価に従って「勧善懲悪」の枠組で描かれた作品ととらえて「悪」である藤尾が懲らしめられたのだ、と捉えたとしても、ずいぶん唐突すぎる展開で違和感を感じていたのだが、ディケンズの短編のいくつかを読んでいたら19世紀の小説では特別ではないらしい、ということがわかってきた。



この短編集の中だけでも、「奇妙な依頼人の話」「狂人の手記」「チャールズ二世の時代に獄中で発見された告白書」「追いつめられて」など、精神的な衝撃や失意のあまり正気を失ったり死んでしまったりする話が多く見られる。

考えてみると、『郵便報知新聞』連載の「報知叢談」でも、結末で唐突な死を迎える展開があった。日本の物語でも、「源氏物語」の夕顔の死とかあるし、自然主義的な小説観にとらわれない物語・小説ではストーリーを進める・終わらせるための死というのが方法の一つだということなのだろう。

「虞美人草」から「三四郎」への変化は、自然主義の小説の取り入れ(たとえば女性の容貌を詳細に記述・描写しないとか)として理解できる。だから「三四郎」ではストーリーに無関係な轢死は出て来るが、死がストーリーを動かす・終わらせることはない。

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2011年05月14日

小説と事件

事情により大江健三郎の小説・エッセイ・対談等をまとめて久々に読んでいるのだが、こちらに書くようなネタが見つかったので、ちょっと復活。

『郵便報知新聞』などの新聞に掲載された小説と英米のSensation novelとの関連などを考えるというのがテーマの一つになっているのだが、Sensation Novelと同時期にその近傍で小説を書いていたチャールズ・ディケンズについて大江健三郎が言及しているところを見つけた。

 大江 さきにいったグロテスク・リアリズムの考え方にしても、その系譜をたどると、大抵の論者がデイケンズにたどりつく。ディケンズのグロテスクなものに関心をあらわす。ディケンズの表現した英国社会の同時代のリアリズム描写と矛盾しない、奇怪なものの導入、格下げ、価値の転倒に言及します。小説はディケンズで終わったという大岡さんのお考えを、ぼくはそれにひきくらべて考えます。
 現代をどうとらえるか。現実の状況からどう出発するか、それはディケンズの仕事までふくめて小説最大の課題でしょう。(p141)


大江健三郎と大岡昇平の対談「文学は現代をどうとらえるか」(『新潮』一九七六年十二月号)での発言である。この時点で大江健三郎と結びつけられやすい海外作家と言えば、サルトルやノーマン・メイラー、そしてこの時期になってマルケスやリョサなどのラテン・アメリカ作家など、同時代の作家が中心で、ディケンズへの言及はかなり珍しいものである。

しかし、同時代に起った事件や社会現象(「小説神髄」の言葉を借りれば「世態風俗」)との関係は確かに〈メディア〉である小説にとっては重要な問題で、それをディケンズから考えるというのは現在でも有効である。

後に大江健三郎は「キルプの軍団」でディケンズを原書で読む高校生を語り手に、ディケンズの「骨董屋」と重ね合わせながら現代の「グロテスクな」暴力を描いていくことになる。

明治時代の小説をディケンズを媒介にして大江健三郎と結びつけて論じることも可能かもしれない。

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2011年04月09日

ジュール・ヴェルヌ「皇帝の密使」(電子書籍版)

入手困難になっているジュール・ヴェルヌの小説が電子書籍になっていることをこの前紹介したが、そのうちの一冊「皇帝の密使」をダウンロードしてパソコンで読んでいる。

『郵便報知新聞』の小説連作「報知叢談」の中の一作「盲目使者」は「皇帝の密使」の(別題の)翻訳なのだが、これはいわば冒険小説版の〈才子佳人〉小説なので〈才子〉と〈佳人〉に関する箇所を抜き出す作業をしている。そのようにストーリーや場面を摘んで読んでいく際にはやはり現代語訳の方が効率がいいのだった。

あらためて読み比べると、森田思軒がかなり正確に訳していることもわかったが、細かいところのニュアンスがけっこう違ったりもしているのだった。
あまり翻訳の正確さということは問題にするつもりはないのだが、それはそれで興味深い。
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2011年04月03日

ジュール・ヴェルヌの電子書籍

〈才子佳人〉関連で、どのような男女関係が登場するかを確認するために、1880年代の『郵便報知新聞』紙上に掲載された小説を読み直している。
ついでに、掲載されている小説のうち、ジュール・ヴェルヌの小説の出版状況がどうなっているのか、検索してみた。

かつていくつかのヴェルヌの選集(「全集」と銘打っているものもあるが、一部を刊行しているにすぎない)が出ていたものの、そのすべてが現在は入手困難になっている。
ところが、それらのうちの一部が電子書籍として再刊されているのがわかった。

たとえば〈電子書店パピレス〉とか〈デジタル書店 グーテンベルク21〉とか〈ビットウェイブックス〉などで。

「盲目使者」や「探征隊」の原著の翻訳である「皇帝の密使」や「グラント船長の子供たち」を気軽に読むことが可能になったのは非常にいいことである。というか個人的に非常に助かる。
この電子書籍化がさらに進むことを期待するけれども、それにはやはり購買者が増えないと、ということで宣伝しておきます。
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2011年03月20日

坂崎紫瀾『汗血千里駒』

去年の大河ドラマの便乗で岩波文庫から発刊されていたものをようやく読み終わった。



調べたら、他にもいろいろあった……

 

もっともwikipediaによると、「竜馬伝」にも坂崎紫瀾は出ていたそうなので、便乗にも一応理由はあることになる(?)

政治小説の常道として、この小説も志士を助ける女性が登場し〈才子佳人〉の物語を利用した部分がある。
木戸孝允や坂本竜馬の妻、時代劇などでは何度も描かれてきた女性たちが、実は〈佳人〉としての役割を与えられ続けているということでもある。
〈才子佳人〉の物語の力はまだまだ強いということである。
そのあたり、現代の表現における力をまず語るところから始めた方がいいのかもしれない。

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2011年03月15日

明治初期のヴェルヌ・ブームとは?

昨日に続いて横田順彌『近代日本奇想小説史』に関連して。

本書の「第五回 なぜ『八十日間世界一周』だったのか?」と「第六回 ヴェルヌ・ブームの果たした役割」は、明治初期の日本の出版界でジュール・ヴェルヌの翻訳が盛んだったことを取り上げている。
このヴェルヌ・ブーム自体は『日本SFこてん古典』でも取り上げられており、以前「報知叢談」についての論文(リンク先はpdfファイルです)を書いた際にもふまえている。

ところが、本書ではヴェルヌ・ブームの終末について次のように記している。
 にもかかわらず明治二十年ごろから、ヴェルヌ作品の翻訳は激減する。その原因はひとつではない。ヴェルヌの代表作のほとんどが翻訳されてしまったこと、現実の科学の進歩を目の当たりにしたり、海外の最新科学の紹介書などで、読者の目が肥えてきたこと。ヴェルヌの小説の影響を受けた、日本人作家の政治小説というジャンルが台頭してきたことなども、原因になっている。
(p110)

このリスト(リンク先はpdfファイルです)にあるように、『郵便報知新聞』紙上でヴェルヌの翻訳が紹介されていたのは、1887(明治20)年から1889(明治22)年までで、横田順彌がヴェルヌ・ブームが終わったと見なしている時期にあたる。
「報知叢談」は『郵便報知新聞』の紙面改革の目玉の一つなので、そこにヴェルヌの小説が多く掲載された、ということはどうもこのブームの終焉とは結びつかないように思える。

もっとも横田順彌は翻訳書(単行本)の発行を目安にブームについて判断しているので、新聞連載は念頭に無いのかもしれない。

実際に翻訳していた森田思軒がヴェルヌの小説をどうとらえていたか、とか、ヴェルヌ・ブームの時の読者と「報知叢談」の読者はどのくらい重なっているのか、とか、いろいろと調べたり考えたりしなければならないことは多そうだ。
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2011年03月14日

横田順彌『近代日本奇想小説史』

春休みに入ってちびちびと読んでいたが一昨日読み終わった。

横田順彌の過去の仕事、特に『日本SFこてん古典』と重なっているところも多いのだが、新しい情報が加わっていたり、また日本文学に関する認識・知識が以前この本を読んでいた時とはかなり違っているので、新鮮に読めた。
つまり、昔はちゃんと読めてなかったということだが。

その分、この本の記述に疑問を感じるところもあって、たとえば坪内逍遙の評価、特に「小説神髄」発表当時の反響なんかは大きめに見積もりすぎのところがあるように思う。もちろん、この本は「奇想」を描いた小説を取り上げるのが主旨なのだから、「小説神髄」評価についてつっこんだ議論を期待するのが筋違いなのだが。

しかし、たとえば「浮城物語」論争の時の文学状況について柳田泉の文章を引用して

 それから、柳田は『浮城物語』論争を「明治文壇史上、最初の文壇文学対大衆文学の論争であつたといつて可い」としているが、ぼくは「純文学対奇想小説の論争」と変える以外は、同意見だ。ただ一点、この明治二十三(一八九〇)年ごろ、文壇文学の写実恋愛文学が全盛で大衆から飽きられかけていた、というのは誤認ではないかと思う。
 (中略)まだ、この時代は文壇文学(純文学)も写実文学(写実主義)も確定していない。写実主義小説が全盛になるのは、もう少し後のことなのだ。
(p258)

というように、従来の評価とは違う見取り図を提示しているなど、より広い文学史に関して有益な記述も多い。

他にもいろいろと考えたこともあるのだが、今日はこのくらいで。

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2010年12月29日

「虞美人草」の系譜?

男性を惑わし操る美女、というとおよそ〈純文学〉とはそぐわないようだが、夏目漱石「虞美人草」(1907年)の藤尾や有島武郎「或る女」(1919年)の葉子といった例をあげることができる。
外側から彼女たちの行動が描かれるだけではなく視点人物にもなっているというところが彼女たちの特徴になっている。

この流れは菊池寛「真珠夫人」(1920年)の瑠璃子に受け継がれているようなところがあり、実際男性を操る手管のことを「タクト」と呼ぶあたり、直接「或る女」を意識して書かれているようだ。

「真珠夫人」は通俗小説の元祖と言われているが、そもそも「虞美人草」「或る女」が備えている通俗性自体を検討する必要もある。
もちろん、これを系譜とするためにはより多くの小説を集めなくてはならない。
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2010年12月27日

講談速記と大衆小説

冬休みに入って、また田山花袋・島崎藤村・徳田秋声の小説を読み始めているが、今日はそれとは別の話題。

北村薫・宮部みゆき編『名短編、さらにあり』(ちくま文庫、2008年)には川口松太郎「紅梅振袖」が収められているが、その書き出しの方に次のような記述がある。

円玉はその伯円の弟子で、初めは松林円玉といったが、後年には自ら悟道軒と称し、体が弱いので芸人をやめ、速記術を覚えて、その頃の新聞雑誌に講談速記の連載を試み非常な大当りを得、大衆小説発達の貴重な温床となった。此の事も今は記憶する人も少くなったが、大正中期までの夕刊連載といえば講談速記に決っていて娯楽雑誌の大半は講談速記でうずまったものだ。残念な事には伯円ほどの創作力を持たない為め、何年かつづけていると種がつきて同じ材料の繰り返しになる。其処で、雑誌も新聞も新作講談を思いついて、三流作家に新講談を書かせた。その中から初期の大衆小説を形成する作家と作品が生れて、現代の繁栄に至ったのだ。いい変えると円玉は大衆小説の結果的な恩人だった。講談速記を思いついたのは彼らしい利口さであったが、それが土台になって大衆小説の生まれた事は疑いもない。円玉に意識はなかったとしても、結果的には大変有効な仕事であった。
(p168)


講談筆記を載せていた雑誌に、ネタがなくなってしまってオリジナルの講談が載せられるようになったという話は講談社の創業者の野間清治の回想にもあったのだが、ここではそれを松林(悟道軒)円玉の名前に代表させている。
野間清治は出版者としてメディアの側面から語り、川口松太郎は作家の面から語っていることになる。

20世紀初めに新しい世代の作家が新聞に小説を掲載するようになった後も、講談由来の小説は並行して新聞に掲載されていた背景には演芸との関係があるわけである。
そのあたり同じく新聞に小説を書いていた夏目漱石と落語の関係をほうふつとさせるものがある。
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2010年10月01日

次の予定

『述』4の原稿を送ったので、そのうち次の仕事にかかる予定。
次と言っても、投稿した「〈佳人〉からの逃走」が不採用になったので、それをもっと長く書き換えていくつもりである。

今回書いたのは、全体の見取り図がわかりにくかった。
政治小説や「浮雲」「舞姫」について書き、それに饗庭篁村や家庭小説なども関連づけたらいいだろう。

また、前提として現代の小説と結びつく問題であることを冒頭から述べておく。
現代の小説で、女性の顔を描写している小説としていない小説、それぞれのいい例を探すことにしよう。
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2010年08月13日

岩波文庫『小説神髄』

あわただしくしていて気づかなかったのだが、字を大きくして新漢字を用い、かつ「小説神髄」以外の坪内逍遙の小説論も掲載した改版が6月に出ていた。



手軽に「小説神髄」が手にはいるようになったので、来年の大学院の前期の授業はこれと島崎藤村・田山花袋たちの小説を教科書にして、〈自然主義〉の技法についてあらためて考えてみよう。
後篇の小説の方法の部分がじっくり読めたらいいと思う。

ひとまず来年の4月までに品切れにならないことを祈ろう。
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2010年07月28日

〈才子佳人〉、ひとまず終了

去年の8月に「「蒲団」の影響圏」というタイトルで話題にするところから始まった論文をようやく終了させた。
結局、最初考えていたのとはずれにずれて〈才子佳人〉の〈物語〉との関係や「自然主義」の小説における女性の容貌の描写・記述の排除というところに力点を置いたものになった。

まだちょっとどこで発表するかは不確定なのだが、このへんで終わらせないと次の仕事に移れないのでいくらか強引に終わらせた。

次の仕事は「00年代の文学と思想」(仮)という特集(もちろん1900年代ではなく2000年代)に書くので、こちらには状況報告がわりのメモは書かない予定。
しばらくは開店休業になるか、な?
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2010年07月22日

「〈自然主義〉と〈物語〉」

上記のサブタイトルの論文を終わらせた。書こうと思っていたことの半分しか書いていないのだが、量がどんどん増えるのでばっさり切って、文字通り終わらせた感じである。

切ったのは「浮雲」「舞姫」「金色夜叉」「魔風恋風」「青春」「草枕」「虞美人草」といった小説と〈才子佳人〉の〈物語〉との距離について考えていた部分だったんだけれども、そちらはまたいつかさらに材料を揃えて書くでしょう。
他の現在では全く読まれていない小説も検討したいところだし。
いや、ちゃんと調べてくれるなら、誰か他の人に書いてもらってもかまいません。

しかし、まだ決まらないのがメインタイトルで、「〈佳人〉からの逃走」にするか「忌避される〈佳人〉」にするか迷い中。「排除される〈佳人〉」というのも考えていて、本文中での表現に一番近いのだが、ちょっとタイトルしてはどうかという感じ。
さて、どうするか。
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2010年07月02日

武者小路実篤と美人

大学院の授業で武者小路実篤の「お目出たき人」と「友情」を読む。



日本近代文学史における〈天然〉キャラの代表選手のように言われている武者小路だが、あらためて読むと実は主人公を客観視する部分がテクストに織りこまれていたりする。
たとえば、「お目出たき人」の癌で余命のない叔父の境遇によって主人公の置かれている境遇(全く見込の無い状態だが、周囲は気をつかって気づかせないようにしている)を映し出している。
素朴ではあるがいろいろと技術を使って書いているのだが、既に〈自然主義〉の作家たちが技術と思わせない技術を開発してきた後なので、それに便乗しているところもあるのだろう。

〈自然主義〉と言えば、新潮文庫の「お目出たき人」の解説に、白樺派の作家たちが最も憎悪していた作家として田山花袋の名前があがっているにもかかわらず、「お目出たき人」は「蒲団」とよく似ているのだった。やはり理論・理念と創作の実践とは全く違うということなのだろう。

ただ、どちらの小説も主人公が美しい若い女性に思いを寄せているというあたり、〈自然主義〉の小説と一線を画すところがある。〈白樺派〉が素人集団的な評価を受けた理由とそのあたりは関係していそうだ。
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2010年06月12日

〈自然主義〉の小説と通俗性

以前から準備していた〈才子佳人〉物語の受容と排除についての論文を本格的に書き始めた。通俗性、通俗的であるとはどういうことかを考えるというテーマを最初に提示することで、ずいぶん話を進めやすくなった(それまでの書き方はちょっともったいぶりすぎだった)。今回は大まかな概論のようなものだが、やはり「美人」が〈物語〉を誘引してしまうという話はしっかり述べておきたい。

今年に入って島崎藤村「家」や徳田秋声「黴」などを読むことで〈物語〉を排除する方法は、「美人」を登場させない、容貌の美しさを描写しない、というだけではないということが見えてきたので、この論文の後ももう少し〈自然主義〉について考えることになりそうだ。
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