2019年09月10日

テレビと天皇

一昨日言っていた情報を追加して論文ができあがった。
たとえば前回の「即位の礼」の時のパレード中継は視聴率が各局合計58パーセントあったとか、そういう情報である。ふだんならテレビを見ている人自体が30パーセントしかいない時間帯だったそうな。

一月半ほど前にあげた小説論をまとめた本の目次案は、こう修正されることになった。

   第一部 メディアとしての小説

 「嘉坡通信報知叢談」論―メディアとしての小説―
 エンサイクロペディアとしての小説―幸田露伴と「浮城物語」論争―
 メディアとしての小説―一八九〇年の「報知異聞浮城物語」―
 難民・亡命者の位置 明治期の政治小説から見えてくるもの
 軍隊と身体―「挟み撃ち」あるいは「神聖喜劇」―
 大江健三郎と自衛隊、その持続性
 大江健三郎と原子力、そして天皇制
 家庭・〈われわれ〉・民主主義―『新しい人よ眼ざめよ』―
 一九八九・九〇年の天皇代替わり儀式を描いた小説―現実と神秘(オカルト)の二つの層


   第二部 小説による小説についての教育

リアリズムへの悪意―現実と小説の(無)関係―
太宰治「俗天使」論―「聖母」と「私」、「私」と「作者」―
「憂鬱妄想狂」の「一人角力」 「善蔵を思ふ」論
武田泰淳「風媒花」論―「エロ作家」と「プロ作家」―
〈私〉を書くこと―〈戦後派文学〉の継承―
小説と〈私〉―『「雨の木」を聴く女たち』―
小説の教育は可能か―『キルプの軍団』『静かな生活』他―
一九七〇年代の日本の〈小説家についての小説〉について
一九八〇年代の大江健三郎による自身の小説の再利用・再生の方法


しかし、『作者のひみつ(仮)』の方もあるので、すぐには進まないだろう。
posted by kuwabara at 22:42| 大阪 ☀| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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