2019年08月31日

1990年の大嘗祭

新聞データベースで見つけた前回の「即位の礼」「大嘗祭」、それらに反対する人々の記事を読み直しているが、「政教分離」をうたった日本国憲法下での「大嘗祭」の扱いについて対立する意見が強調されている印象である。
天皇が神と一体化し神格が宿る儀式なのか、即位を報告し国の安寧と五穀豊穣を祈るだけの儀式なのか、という二つの意見が出て、本来は後者だったのが戦前・昭和初期に前者の見方が後付けされただけだ、という見方等を参考にしつつ宮内庁が後者を採用し、前者を否定することになった。一方で「宗教上の儀式」である、つまり信者ではない人から見れば「迷信」だということは認めているのであった。

その点、今回は前回を踏襲すればいいので主催する人たちは楽そうだ。過激派も活性化していないし。

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そういえば、今回の改元・践祚の際に、皇室の先祖である天照大神みたいな言い回しをしたメディアが批判されていたが、29年前も『毎日新聞』が「皇祖・天照大神と天神地祇」と書いていたり、読売新聞も「新穀を皇祖と八百よろずの神々に供え」と書いていたりする。
他の記事で紹介されていた宮内庁の文書に「皇祖及び天神地祇」と書いてあるので、おそらくそれををふまえているののだろう。今回もそんな流れで引用感覚だったのかもしれない。

posted by kuwabara at 21:51| 大阪 ☔| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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