2019年07月26日

『メディアとしての小説・小説についての教育(仮)』目次案

カテゴリの分類が難しくなるのだが、これまで発表した論文をまとめたものの仮目次を作ってみた。
(割合に従って「戦後文学」にしているが、「1890年代」でも「小説家小説」でもある。


 第一部 メディアとしての小説

エンサイクロペディアとしての小説―幸田露伴と「浮城物語」論争―
メディアとしての小説―一八九〇年の「報知異聞浮城物語」―
「嘉坡通信報知叢談」論―メディアとしての小説―
難民・亡命者の位置 明治期の政治小説から見えてくるもの
軍隊と身体―「挟み撃ち」あるいは「神聖喜劇」―
大江健三郎と自衛隊、その持続性
大江健三郎と原子力、そして天皇制
家庭・〈われわれ〉・民主主義―『新しい人よ眼ざめよ』―
昭和天皇裕仁の死と戦後四十年または五十年(仮)

 第二部 小説による小説についての教育

リアリズムへの悪意―現実と小説の(無)関係―
太宰治「俗天使」論―「聖母」と「私」、「私」と「作者」―
「憂鬱妄想狂」の「一人角力」 「善蔵を思ふ」論
武田泰淳「風媒花」論―「エロ作家」と「プロ作家」―
〈私〉を書くこと―〈戦後派文学〉の継承―
小説と〈私〉―『「雨の木」を聴く女たち』―
小説の教育は可能か―『キルプの軍団』『静かな生活』他―
1970年代の日本の〈小説家についての小説〉について
一九八〇年代の大江健三郎による自身の小説の再利用・再生の方法


第一部最後の仮題のものが、最近ずっと「戦後文学」カテゴリで書いている準備中の論で、9月中旬までに書いてしまう予定である。

それを除くとすべて既発表の論文に基づいており、こちらで読めるのだが、それぞれの部のテーマでまとめ、つなげるためのブリッジ的な文章も必要だし、逆に内容がかぶっているところを省略する必要もある。

『作者のひみつ(仮)』も平行して進めているので、そんなにすぐにはまとまらないでしょう。
posted by kuwabara at 21:08| 大阪 ☀| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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