2019年06月30日

絶対支配者と国民

「小春日和」読み終わったが、一カ所だけ語り手の叔母の小説家が、自分が読んで「気がクサクサ」した『拝啓マッカーサー元帥様』という本について説明する箇所がある。

この本は六年近い占領中に日本人がマ元帥に書いた手紙(五十万通もあるんだけどね)が紹介されてるんだけどねえ、それが、まあ、絶望的に支配者に身をすり寄せる手紙ばかりでね、あたしはおやじとおふくろも手紙を書いた一人だったんじゃないかって考え込んじゃったのよ。
124頁


袖井林二郎『拝啓マッカーサー元帥様 占領下の日本人の手紙』は大月書店から1985年8月に出版されたもので、その後中公文庫や岩波現代文庫から刊行されている。

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「絶望的に支配者に身をすり寄せる」という身振りは、その後、現在まで続いているものである。
天皇や皇后への国民からの手紙というのも出版されたりしていないのだろうか。
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2019年06月29日

ハイパー消費社会黎明期としての1980年代終盤

1980年代終盤の小説の再読、金井美恵子を読み始めた。

『金井美恵子全短篇』にまず手をつけたが、実はこの時期には短篇は二作しか書いていなかった。
いわゆる〈目白四部作〉を書いていたり、『家庭画報』で後に『軽いめまい』としてまとめられる連載をしていたり、長篇に力を入れていたということになる。

で、〈四部作〉にうちの「小春日和(インディアン・サマー)』を読み始めた。ただ、なかなか時代の大きな変化のようなものへの言及はないのだった。
一方で、この時期が「バブル景気」の時代だった、ことはよくわかる小説だった。
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小春日和(インディアン・サマー) 河出文庫 / 金井美恵子
天皇の病気と死が好景気と並行する時代として1980年代終盤を考えなくてはならない。
まあ、そういうことは『文藝夏季号』冒頭の対談でも言われていたのだが。
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2019年06月28日

「露骨なる描写」におけるヨーロッパ作家たちの劇化

「恋する民俗学者」の第15回その2に「露骨なる描写」(1904年)の引用があって、そこにゾラが出てきたので読みなおしてみた。
引用は『日本批評大全』(河出書房新社、2017年)による。

 けれど十九世紀革新以後の泰西の文学は果して何うであらうか。その鍍文学が滅茶々々に破壊せられて了つて、何事も露骨でなければならん、何事も真相でなければならん、何事も自然でなければならんと言ふ叫声が大陸の文学の到る処に行き渡って、その思潮は疾風の枯葉を捲くがごとき勢で、盛にロマンチイシズムを揉闘して了ったではないか。血にあらずんば汗、これ新しき革新派の大声呼号する所であったでは無いか。
 虚言と思はゞ、イブセンを見よ、トルストイを見よ、ゾラを見よ、ドストイエフスキーを見よ、其の作の中にいかに驚くべき血と汗とが籠められてあるか。殊に、ドストイエフスキーの『罪と罰』の如きは、技巧論者が見て以て胆を落すやうな作で、その何事をも隠さない大胆な露骨な描写は、文章の綺麗を求め、思想の鍍せるのを望む技巧者一輩の夢にも見ることの出来ないものである。
107頁


技巧を凝らした文学はメッキを施した偽の黄金である、という主張をし、「露骨」「真相」「自然」を追求した作家達の一人としてゾラがあげられている。

ここであがっている作家達が実際は非常に技巧を凝らした作品を書いているということ、さらに田山花袋たちの小説にも十分技巧が用いられているということは、既に当時泉鏡花が批判している。
こおで問題にしたいさらなる誤謬として、「驚くべき血と汗とが籠められてある」ことの理由をあえて見ていないということがあるだろう。優れた作品を書きたいという情熱の中には、自身を他の作家達と差別化し、作品をより多く売るための努力ということも含まれているわけである。

もちろん、この随筆は「技巧」についての論なので、何のために作品を作るのか、という点には言及していないのだが、「技巧論は単に技術の上のみの論ではなく、確かに今の思識の上にも関係して居る」(109頁)というのだから、「露骨」「真相」「自然」に「血と汗を籠め」ることそれ自体が目的だという発想が隠れていることは想像できる。
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2019年06月27日

観察された天皇睦人

一昨々日、そして昨日の話の続き。

昨日の「乱」ではプティ=トゥアール艦長の報告を紹介していたが、萩原延壽「遠い崖ーアーネスト日記抄」(『朝日新聞』連載、これから引用する「参朝」が収録された6巻は朝日新聞社より1998年刊行。引用は2007年刊行の朝日文庫版による)では、ロッシュ公使の報告文の方を紹介し、解説しているている。

「日本の天皇は十五歳か十六歳くらいの、 ごく若い青年である。歯を黒く染めており、眉は剃りおとしている。 われわれが古代の日本人について描くイメ−ジの如く、額の中央に、目の線にたいして斜めに人工の眉をかいている。」
「それに付け加えると、天皇の容貌には知性の片鱗(へんりん)すらうかがえなかった。かれの神型な口から、何か意味明療なことばが洩れてくることは、 ほとんどなかった。」(ロッシュよりムスティエ外相への報告、 一八六八年四月一日付)

 このときの天皇のことばは、「貴国帝王安全なるや、朕之(これ)を喜悦す。 自今両国之交際益(ますます)親睦、永久不変を希望す」という短いものであり、それを伊藤俊輔が英訳してロッシュにつたえたのである (「日本外交文書」第一巻第一冊)。
 ロッシュが文字通りはじめて外国人に接する少年天皇に何を期待したのか知らないが、「何か意味明瞭なことば」というくだりは、あきらかに酷であろう。
344-345頁


この時、本来ロッシュたちと一緒に謁見するはずだったイギリス公使パークスは、途中でテロリストに襲われたため、三日後あらためて参内したのだが、彼や随伴者の感想も紹介し、また解説を付けている。

「御門のことばの性質を判断するにあたって、心に留めておくべきは、それがこれまで世の中からまったく隔絶して生き、且つ国民から半神としてあがめられてきた君主によって述べられたということである。御門はいまはじめて外の世界に接したのである。そして、諸外国との交誼をひらくにあたって、かれはわれわれの観念からいっても、伺候した諸外国の公使になんの侮辱もあたえないようなことばで、自らを語ったのである。なお、謁見のさいの礼法は、事情のゆるすかぎりにおいて、ヨーロッパ諸国の宮廷でおこなわれているものに合致していた。」(パークスよりスタンレー外相への報告、一八六八年三月二十六日付)

 パークスはロッシュから謁見の感想を聞かされていたのかもしれないが、評語は、あたかも先に紹介したロッシュのそれの批判のようにも読める。
 謁見の儀式に加わったもうひとりのイギリス公使館員ミットフォードも、パークスと類似の感想をのこしている。

「女王についても敬意をこめた言及がなされたが、そのこと自体、あたらしい出発であっ た。三日前におこった暴虐行為にたいする陳謝も、それにふさわしいことばで語られた。儀式の全体を通して、いかに厳格な外国人であろうと、その感情を傷つけられるようなことはまったくなかったであろう。数世紀にわたる障害は打破され、日本は平等の条件で国際的礼譲を受け入れる用意をしめしたのである。」
「御門がまだごく若いことと、かれが置かれたまったく新奇な状況とから察しがつくことであるが(中略)、かれは内気な様子をみせた。かれの声はほとんどささやくように小さかった。そこで右側にいた親王がかれのことばをもう一度繰り返し、つぎに伊藤俊輔がこれを通訳した。」(Lord Redesdale,Memories, Vol. II)
350-352頁


外見や言葉の発し方を冷静に観察している幕末の外国人たちは「半神」などではなく、人間として睦人を見ていた訳である。
これらのテクストが天皇が人間として死んでいこうとしている時期に重ねて書かれていたことを強調してみたい。
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2019年06月26日

描かれた天皇睦仁

一昨日、大岡昇平「堺港攘夷始末」で言及されていることを紹介した綱淵謙錠「乱」(単行本は中央公論社から1996年に刊行されている)だが、読んでみると、こちらでも『堺港攘夷始末』に言及していた。同じ『中央公論文芸特集』に連載されていたということもあるのだろうが、取り上げる時期の広狭はあれ、同じ幕末を描いているということで共感するところがあったのかもしれない。

さて、「堺港攘夷始末」では外国公使と(後に明治天皇と呼ばれることになる)天皇睦仁が対面する場面を「乱」に譲ってしまって直接は描いていない。それはフランス公使ロッシュに同行したプティ=トゥアール艦長の報告書の記述に基づいて描かれている。

   第二十四章 天皇、外国公使に会う

 玉座は四角な天蓋のように、美しい文様入りの白い絹の几帳で四方を囲まれ、正面が大きく開かれて、その奥に天皇(ミカド)がいた。
 天皇は高い椅子にもたれるように腰を掛け、その前方左右には、木彫りの金と黒の唐獅子が天皇を護衛するように控えていた。
 ロッシュたちが緑の敷物のある、ちょっと高くなった所定の位置を占めると、天皇が立ち上がった。
 「十四、五歳の若者であった。眉毛を剃り落し、かわりに額の真ン中に筆で点点が打ってあったが、それが長い顔を一層長く見せていた。歯には既婚の女性と同じく、お歯黒がしてあった。上半身には白の表着(うわぎ)をまとい、脚には円筒形の長い布(緋の袴?)をまとっており、それがかれを途方もなく大きく見せていた。そして頭には鶏のとさかによく似た、警官の用いる黒い帽子のようなものを冠っていた」
 ―以上がプティ=トゥアールが初めて見た天皇の印象である。
352頁


描くことが忌避され、黙説法的な扱いを受けている天皇を、日本社会から離れた外国人はあたりまえのこととして描写する。描写の詳細さといい、「天皇」のイメージを異化するものとなっている。

この「女性的」な天皇を、帝国を率いる「男性的」な天皇へとイメージの中で作りかえる作業がこの後行なわれるのだが、この時点では流通するようなイメージもなかったということだろう。
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2019年06月25日

物語に身を委ねる

以前、原武史の本を紹介したことがあったが、大塚英志が『感情天皇論』で紹介していた、この本を読み始めた。

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元々皇族でもない女性が皇后となるべくどのような役割を演じるのか、演じることを選ぶのか、という大きなテーマがあって、そのために過去の皇后のイメージ・物語を利用とするというのが大枠で、その際に烈女や聖母(しょうも)としての過去の皇后が召喚されるということになる。
戦後におけるイメージは後者だと思われるが、さてどう論じられているのか。
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2019年06月24日

昭和末における慶応末・明治初年への関心

前に記したとおり大岡昇平「堺港攘夷始末」は1984年から88年まで『中央公論文芸特集』に連載されたものだが、本文中に同時期に近い時代を取りあげている小説等に言及したりもしている。

たとえば「十七」では、同じ『中央公論文芸特集』に連載されている綱淵謙錠「乱」で慶応四年に外国公使が天皇に謁見する場面を描いていることに言及している。
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また、「二十」では萩原延壽が朝日新聞に連載している「遠い崖」を、降伏した江戸城を攻撃しようとする新政府軍をイギリス公使パークスが牽制したという「風聞」について詳しく記したものとして紹介している。
遠い崖(7) アーネスト・サトウ日記抄 江戸開城 (朝日文庫) [ 萩原延寿 ] - 楽天ブックス
遠い崖(7) アーネスト・サトウ日記抄 江戸開城 (朝日文庫) [ 萩原延寿 ]

慶応から明治にかけて、元号のみならず、政治体制や海外との関係が急激に変わっていく、いや変えられようとしている時代を題材とした連載が、昭和末に並行して存在していたということである。
小説以外のジャンルにさらに目を向けた方が良さそうである。
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2019年06月23日

作者と読者の歴史を三段階で考える

昨年度まで担当していた講義では、作者と読者(享受者)の関係について二段階の変化で説明していた。
しかし、江戸時代の日本の出版についての本を読んで、過渡期を挟んでの三段階で説明する方がいいということがわかった。
過渡期はおそらく150年程度の短い時期なので、微修正ではあるのだが、出版業が確立したからといって、いきなり作者が不特定多数の読者を相手にしなければならなくなった、という訳ではないのである。

江戸の読書熱 自学する読者と書籍流通 (平凡社選書) [ 鈴木俊幸 ] - 楽天ブックス
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たとえば、この本だと過渡期から近代的な出版産業への以降を寛政期(1789-1801)のことととらえている。
つまり、黄表紙は天明期(1781-1789)までは「武士階級を主とした知識人の余技」で「同好の人間を読者として想定した、いわばサークル文芸のようなもの」だったのが、「寛政も中頃になると」「より広く多数の購買者を獲得できる優良な商品である」ための「努力が加えられるものになっていった」というのである。
江戸で商業出版が行われるようになった寛永(1624-1644)頃から一世紀半くらいの間は、今でいうと同人誌専門の印刷所みたいな感じで出版業が成り立っていたということである。
写本の時代よりは多くの読者を持つようになりつつ、作者と読者が顔の見える閉じた関係だったのはそれ以前の時代と変わらないというのが過渡期の特質である。
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2019年06月22日

田山花袋、本を買う

またまた『定本花袋全集』15巻の話。

ちなみに20世紀初頭に日本の文学者たちに問題化されていた「実行と芸術」の偽対立から話を始めることでうまく論が進められることに気がついた。
ここでいう「実行」とはご存じのとおり、「実際の生活の糧になる、収入を得られる行為」くらいの意味である。
いや、「芸術」だって商品なんだし必ずお金がからんでくるでしょう、というツッコミは当然可能で、それがいかに対立になっていないのかの例として「東京の三十年」の以下の記述も使えそうだ。

   丸善の二階

 十九世紀の欧洲大陸の澎湃とした思潮は、丸善の二階を透して、この極東の一孤島にも絶えず微かに波打ちつゝあつたのである。561頁
(略)
 註文した『親々と子供』の一冊を抱いて、恋人にでも逢つたやうにして、丸の内の宮城近い路を歩いて行く青年もあれば、『アンナ・カレニナ』の丸善の二階書棚に並んでゐるのを見て、一月の小遣銭しかない財布を逆さにして、喜んでそれを買つて行く若者などもあつた。(略)562頁


ヨーロッパの最新の文学作品を商っている丸善。田山花袋も文学が商品であることは当然わかっている。

 兎に角、この欧洲大陸の大きな思潮の入つて来た形は面白かつた。三千年来の島国根性、武士道と儒学、仏教と迷信、義理と人情、屈辱的犠牲と忍耐、妥協と社交との小平和の世界、さういふ中に、ニイチエの獅子吼、イブセンの反抗、トルストイの自我、ゾラの解剖が入つた来たさまは偉観であつた。(略)563頁


ここで名前があがっている作者たちの本がはるばる日本まで運ばれてこられるのは、出版社が商品となりうることを認め、また読者に買われる実績をあげたからである。

 ある日、私は丸善の二階に行つた。そしていつものやうに、そこに備へられた大きな目次の書を借りてそれを翻してゐた。ふと、モウパツサンの『短篇集』が十冊か十二冊、安いセリースで出版されてあるのを発見した。何とも言はれず嬉しかつた。私は金のことなどを考へずにすぐ註文した。
 それの到着したのは、わすれもしない、三十六年の五月の十日頃であつた。私は其頃は博文館に入つて、『太平洋』を編輯してゐた。その日は雨が降つてゐたが、電話でそれを知らされると、もうゐても立つてもゐられなかつた。すぐに行つて取つて来なければ承知が出来なかつた。しかし、それにつけては、銭がない。受取つて来る銭がない。七八円の金だが、それがない。さうかと言つて、月末まで待つてゐる気にはなれない。仕方がないから、出版部に行つて、時の部長U氏に泣附いて、『美文作法』を書く金の中から十円前借りをした。そして降り頻る雨をついて丸善へと出かけた。564頁


二段落目の「銭がない」三連発はかなり面白く、「蒲団」の笑いに通じるものがある。一段落目の「金のことなどを考えへず」というのが見事な伏線になっている。

さて、ここに出てくる「安いセリース」は、おそらく出版社が大衆読者層を狙って作った廉価版の短篇シリーズなのだろう。そういうものが出ていたことは以前紹介した本に書かれていた。
おかげで田山花袋はモーパッサンの様々な短篇を読むことができたのだ。
そして、それを買う代金のために、彼は文章を売っている。文章を売った金で人の売った文章を買うという状況、それは近代においてありふれたことである。
しかし、ありふれたことと受け取れない人たちがいた訳で、それはとても面倒な話である。
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2019年06月21日

田山花袋と売文

『定本花袋全集』15巻、批評や文章論ではずいぶん「芸術」「文学」が至上という記述ばかりだったが、回想の『東京の三十年』(博文館、1917年)になると、文を商品として売ることについて語るところが出てくる。


   H書店の応接間

 H書店の応接間は私が知つてゐるだけでも、一度、二度、三度変つた。最初は店のすぐ上の八畳、その次は少し奥になつた六畳の狭い一間、其処には若い男女の密のやうな媾曳の春の月夜のコロタイプ版の額がかゝつてゐた。
 その次は、編輯部の隣りで、たしか八畳の一間。
 『癪で仕方がないけれど、たうとうあの応接間へ行つた。金が欲しいんでね。仕方がないね。』
 かう湖処子が言つた。
 湖処子はその時分『国民之友』の批評欄に、三面楼主人といふ名で筆を執つてゐて、いつも硯友社側の柔らかい作品を攻撃してゐた。
 湖処子に限らず、誰も皆なこんなことを言つたろうと思ふ。文を売る痛苦、雑誌の主筆に泣きつく羞恥、さういふことを誰も彼も味はせられた。
535頁


博文館のことを「H」と伏せ字にしているが、『東京の三十年』の版元なので、気を遣ったのかしらん? いや、意味ないですよね。
ここでの「痛苦」「羞恥」は様々な意味にとれるし、その全ての解釈があてはまりそうなのだが、文学の作者も商人であるということがよくわかっているのである。

おもしろいのが、『文學界』同人が、同人誌の原稿よりも原稿料がある仕事を優先するようになったという話を別のところで2回繰り返していることで、仕方ないってことなのか、残念だったということなのか、不純だと非難しているのか、逆におかげで原稿を載せられて良かったということなのか、どちらにしろ強く印象に残っていたようだ。

   当時の大家連

 『文學界』の人達も、その頃には、もうたゞの原稿を書くのがイヤになつてゐて、銘々他の雑誌へとその文章を載せるやうになつてゐた。秋骨氏はY新聞の批評家となつた。禿木氏は『帝国文学』にその研究を寄せた。島崎君は、詩から小説に筆をつけて、『うたゝね』といふ処女作を公けにしていた。
534頁

   私達のグルウプ

 それに、柳田君の従兄に中川君といふ人がゐて、この人が『文學界』の主任星野天知君やその弟の夕影君と懇意であつたので、段々原稿を『文學界』に載せるやうになつた。『文學界』の人達は、其時分は、もうたゞで原稿を書くのが張合がないといふ風になつてゐた。
542頁
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2019年06月20日

田山花袋とゾラ(続き)

定本花袋全集 第15巻 /臨川書店/田山花袋

また昨日の続きだが、ゾラについての言及はちょこちょこあるものの、芸術至上主義、およそ商売人とはほど遠いゾラのイメージがこちらに都合の良いようには出てこないのだった。

1912(明治45)年に刊行された『花袋文話』に収録されている「文章と型」には次のような記述があるが、例にあがっている作家にはゾラは含まれていない。
なんでだよ!?
仏蘭西などは流石に芸術の国だけあつて、その匂ひが殊に強い。文体といふことで一家の意味をなすので、いくらか「芸術の為の芸術」といふところがある。即ち好い意味の型を持つて居るのだ。ロチがさうである。ドオデエがさうである。フローベル、ゴンクール、亦さうである。アナトール・フランスの如きは殊にその特色を持つて居る。
187頁

さらに読んでいく所存である。
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2019年06月19日

田山花袋とゾラ

昨日の流れで『定本花袋全集』(臨川書店)を借りてきて読んでいる。まずは「インク壺」。しかし、この全集の戦前に編集された前半部分は、書誌が載っていないのが困りものである。調べれば、すぐわかることではあるのだが。

ちなみに、最近「恋する民俗学者」を読んでいるので、出てくる固有名詞があのマンガの絵で再生されるのが困りものである。
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リンク先のComic Walkerでも読めます。
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2019年06月18日

ゾラとジャーナリズム

五日前に引用した文章に、出処不明なまま引用されていた山田稔の文章を見つけた。
おそらく「ナナ」の翻訳に付随したものではないかと思ったらそのとおり、世界文学全集III-13『ゾラ』(河出書房新社、1965年)に収載された「解説 ゾラと現代」だった。ちなみにこの文章は同じ河出書房新社から刊行された他の世界文学全集の山田稔訳「ナナ」を収めた巻にも使いまわされていた。

引用文は398頁の冒頭から引かれているのだが、同じ頁には次のような記述もある。

 フランスにおいて、文学とジャーナリズムの関係が問題になりはじめるのは、一八二〇年から三〇年にかけてであって、一八三九年にはサント=ブーヴが、今日でいうマス・コミ文学という意味で、「産業的文学について」という文章を発表する。これは主としてバルザックを攻撃目標にしたものであった。バルザックは、ブルジョワ社会で文芸の自立を保証してくれるものは、 ジャーナリズム (主に雑誌ジャーナリズム)だと考えていたのである。文学上でバルザックの後継者たらんとこころざすゾラは、文学とジャ−ナリズム(とくに日刊新聞)との結びつきについて、バルザック以上に楽天的であった。それをよくあらわしているのが、「文学における金銭」という評論である。
 文芸が商業化し、金銭の奴隷となりつつあるという非難にたいし、ゾラは、特権階級の寄生的存在にすぎなかった作家の、社会的地位の向上を強調する。教育の普及、読者層の拡大、書物の日用品化。出版企業の巨大化。その結果、作家は自分の筆一本で生活する労働者になった。この「労働者化」のうちに、ゾラは文学者の経済的・社会的自立をみる。その自立を保証するのは金銭だ。作家は金銭によって、アカデミー、教会、国家など、伝統的権成から解放される、 とゾラは考えたのだ。
398頁


サント=ブーヴについては『メディア都市パリ』でも言及されていた。あちらは「商業文学について」と訳していたが。

文学を商業から遠ざけようとする日本で自然主義を標榜する作家達。彼らゾラを崇拝する文章を紹介し、しかし実際ゾラは、という展開で話を持っていけばよさそうだ。

 ゾラは、 マネーを擁護した一文のなかで、今日の芸術家は、ロマンチックな放浪者でなく、家庭生活をまもる、普通一般の善良な市民である、といったことをのべている。それはゾラ自身の生活でもあった。毎日、時間をきめて原稿を書き、時間になると、書きかけのところでペンをおく、といった機械的な習慣のくり返し。散文的な、あまりにも散文的な生活。日常生活をもっぱら職業作家としての生活に限定し、ただ『ルーゴン=マカ−ル』の完成のために生きるといった徹底した職業意識、それをゾラはうけいれたのであった。
 ここに、フロべールとはまったく異なった形での、「文学のための生活」という作家の生き方がある。フロべールは芸術のために、美しい文章のために、生活をささげた。ゾラはーーゾラは「職業としての文学」のために生活をささげる。ささげる、というより、むしろ、ささげることを強いられたというべきかもしれない。なぜなら、ゾラの楽観にもかかわらず、きわめて現代的な、資本主義社会における職業作家の問題が、すでにあらわれているのだ。「労働者化」のうちに作家の自立を夢みたゾラを、逆にその職業がおびやかす。自信をひっさげて、文壇という闘技身場におどり出たものは、自信の重荷を背負って、くたばるまで競技をつづけなければならぬ。そのことはゾラ自身がよく知っている。書くか、忘れられるか。自分が「他人を踏みつけにしなければ、かならず他人に踏みつけられる」のだ。
 なるほど、ゾラには、二十世紀の芸術家にしばしばみとめられるような、、生活のために自己の「芸術」を売ることを余儀なくされる芸術家のうしろめたさは、まだ生じていなかった。それは第一に、当時のジャ−ナリズムがなお果していた積極的役割、すなわち、作家を特権階級の庇護から独立させるという解放的役割を、ゾラが全面的に信頼しえたからである。だが彼が意識するしないにかかわらず、ゾラの作家としての条件のうちには、資本主義的ジャーナリズムの否定的要素がすでに萌芽としてあらわれて いたのだ。そして、そのことと、ゾラにおける暗さとは無関係ではない。
400-401頁


一方、このようなとらえ方とどのように距離をとったらいいのか、もう少し考えてみよう。
「「芸術」と「職業」との矛盾の意識」「資本主義的ジャーナリズムの否定的要素」を「意識」、すなわちイデオロギーの問題として考えたいのだが。
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2019年06月17日

葬儀を描く

後藤明生が1990年に刊行した短篇集『スケープゴート』のうち、前半の四編は1980年代前半に、残りの三編は後半に発表されている。

スケープゴート 後藤明生・電子書籍コレクション (アーリーバード・ブックス)
スケープゴート 後藤明生・電子書籍コレクション (アーリーバード・ブックス)

後者のうち、「XYZへの手紙」(『文學界 』一九八七年七月号)には高校の同級生だった友人の葬儀で読まれる弔辞を書く話が出てくる。その代読者についての「モヤモヤ」の経緯が説明されたり、弔辞でふれた「パイドーン」について言及するうちに「斎藤忍随氏」の「急逝」に話題が飛んだり、「アミダクジ式」の曲折を経るのだが、今あげたようになぜか死についての言及の多い小説である。
最初の手紙には次のような戯歌も引用されている。

ソウダ 、ソウダ
ソウダ村ノ村長サンガ死ンダソウダ
葬式マンジュウ 、ウマカッタソウダ


未完の、かつ最後の長篇小説「この人を見よ」(連載1990〜1994年)でも中野重治が参列した葬儀についての調査結果?が出てくる。
大喪の礼の時期を挟んで葬儀についての小説を書いているのは偶然とはいえ、何か意味づけることはできないだろうか。

この人を見よ [ 後藤明生 ] - 楽天ブックス
この人を見よ [ 後藤明生 ]
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2019年06月16日

国家元首の死を描く(?)

『アミダクジ式ゴトウメイセイ【対談篇】』では1989年前後に発表された『首塚の上のアドバルーン』、それに『しんとく問答』について言及したものがいくつか含まれている。

しんとく問答 後藤明生・電子書籍コレクション
しんとく問答 後藤明生・電子書籍コレクション

『しんとく問答』には昭和天皇の死についての記述はないが、「俊徳道」の末尾に北朝鮮の旗が半旗になっている、という記述はある。
作中の四天王寺から俊徳道駅までの彷徨が1994年7月8日の金日成の死の直後のことであるとわかる訳で、さらに北朝鮮になってしまった旧大日本帝国領で生まれ育った登場人物が出てくる後藤明生の他の小説との繋がりが「とつぜん」現れるところでもある。

前に書いたように皇太子を小説の登場人物にしてしまった後藤明生なので、注意深く読む必要があるのだ。

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2019年06月15日

19世紀後半のフランスと20世紀終盤の日本

大岡昇平のものを読んでいると、後藤明生との対話が無かったのが残念になってくる。対談・座談会を企画する編集者の問題だと思われるのだが、あえて「内向の世代」と「戦後文学者」をぶつけてみようとは思わなかったのだろうか。

対談・座談会を集めた『アミダクジ式ゴトウメイセイ』(つかだま書房、2017年)でも、座談会で中村真一郎と話しているのが一つあるだけである。
その中村真一郎も、野間宏や椎名麟三、それに大岡昇平たちに比べれば政治性が強くないと見なされているので、真正面から戦後派作家と対話しているものはないことになる。

その座談会を読んでいたら、『首塚の上のアドバルーン』に言及しているところがある。

語り手の「私」と彼が話を聞く床屋との関係が「一方通行」で読んでてつらかった、という中村真一郎の感想について、次のように答えている。

『アミダクジ式ゴトウメイセイ【座談篇】』つかだま書房、2017年
後藤明生・中村真一郎・大庭みな子・鈴木貞美「日本文学の伝統性と国際性」『文學界』1989年5月号

後藤 あの場合は結局、個人的な関係は持たないという原理になってるわけです。あの中でべンヤミンの『ポードレールにおける第二帝政期のパリ』を使わせてもらったのもそのためでして、幕張とパリを比較するのは変な気もしたけれども、変なところがまたおもしろいかもしれないと思ったんです。べンヤミンは都市における人間関係について、何時間でもじーっと顔を見てて、顔は自分のかみさんよりもはっきり覚えてるんだけれども全然話したことがない。そういう関係が近代の都市の人間関係であると書いている。床屋と「私」の関係もそうだということを、ぼくはあそこで言っているわけです。
340-341頁

 それに似たようなことで、結局、過去というのは未知だということですね。しかし、われわれは未知なる過去を忘れて生きている。だから、日常の時間の中では、床屋さんとぼくは、ボードレールのパリと同じような関係になっている。だけど、床屋さんが中台だということがわかってくると、そこにユリウス暦的な時間が重なって来て、ぼくの意識の中 で、床屋さんと首塚がくっついちゃうわけです。
 つまり十九世紀のパリの延長であるところの日本の現在の都市の、その中のアリのような一員であるぼくと、アリのような一員である床屋さんとの関係は、べンヤミンの言うボードレール時代のパリと同じような「見る←→見られる」だけの関係になっている。
341頁


中村真一郎が言う「一方通行」は「私」から床屋に対してだけではなく、床屋から「私」に向かっても生じている、どちらも優越な存在たりえない、それが近代の都市の人間関係である、というのがここで主張されているのだが、中村真一郎はこの説明には納得はしていない(どう納得できないかは、話題が変わっていてわからない)。

これまで読んできたものと結びつけるなら、後藤明生のいう「見る←→見られる」「笑う←→笑われる」関係というのは、「買う←→買われる」関係と言い換えられるのではないかと思えてきた。
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2019年06月14日

大岡昇平「堺港攘夷始末」が描いた時代、書かれていた時代

カテゴリは異なっているが、昨日からの流れで少し書く。

昨日取り上げた本や山田登世子『メディア都市パリ』は19世紀後半のフランスを舞台にしているが、その時期のフランスと日本は無関係ではない。それどころか、フランス兵多数が日本で殺傷されるということすらあったのだった。それを題材にして書かれたのが大岡昇平「堺港攘夷始末」である。
1988年12月25日に亡くなった大岡昇平が直前まで雑誌連載を続けていた(連載開始は1984年、掲載誌は『中央公論文芸特集』)歴史小説であるが、大岡昇平は同じ題材を扱った森鴎外「堺事件」(1914年)を批判する評論を既に書いているのは有名な話である。

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フランス本土で作家たちが、出版資本主義の確立と共に出版社相手に新たな関係を築こうとしている同じ頃に地球の反対側でフランス兵が土佐藩の兵士に銃殺されているというのは、ずいぶんかけ離れたことの様でもあるのだが、『堺港攘夷始末』の次の記述を読むと、実は同じ動きの中にあることが見えてくる。

 しかし彼等のために考えれば、これぐらいの役得がなければ、 極東海軍に投ずる海員はいない。 またもし賠償金が取れなかったら、各公使の責任になるのである。 一八五七年(安政四年))の 「作りすぎ」不況以来、 ヨーロッパの自由競争資本主義は頭打ち状態にあり、七三ー九五年の 「大不況」 の結果、帝国主義に入る前夜にあった。イギリスは生産過剰の綿布の売込先に、フランスは原料不足の絹の輸入先をアジアに求めてやっきになっていた。出先機関はその出費 (海軍出動)に引き合う利益をあげねば落度になるのであった。

拿捕した日本船の積荷を略奪した水夫たちについての記述だが、ヨーロッパ諸国が日本の開国を求めた背景に資本主義が新たな市場・新たな原料供給地を求めていたことを見出している。資本主義に振り回されていたという点では、作者たちも日本に出かけた公使たちも違いはない。

さらに当時の在日本フランス公使ロッシュについては次のような記述がある。

 ジャン・レオン・ロッシュ (一八〇九ー一九〇一)はスタンダールと同郷のグルノーブルのブルジョアの息子で、スタンダールと同じ頑固さとロマンチシズムを持っているのは愉快である。


唐突な、しかしスタンダンリアンらしい記述で、これ自体なかなか愉快である。

さて、この堺でのフランス兵虐殺事件は元号でいうなら慶応4年2月に起こっており、その7か月後に明治に改元されている。
大政奉還は行われたもののまだ新政府は確立しておらず、外交的にも対応する主体が不明確な状況が続いていた。そんな時代の過渡期に起こった事件を題材にした小説が改元の直前まで書かれ続けていたのはとてもおもしろい。
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2019年06月13日

ゾラと文学の商品性

一ヶ月ほど前に紹介した本から、『作者のひみつ(仮)』に使えそうなところを抜き出す作業をした。
たとえば、こんなところ。

 大学に進学し損ねた未来の大作家が、その代わりにアシェット書店という学校で学んだことは、思想や知識以上に、文学の商品性に対する認識である。たとえば、〈ルーゴン=マッカール叢書〉の代表作に数えられる『ナナ』をかつて翻訳した作家の山田稔は、「アシェット社の宣伝部はゾラに、文学は商品である、商品としての文学をいかにして売るか、ということを教えた。つまりゾラは、「売る」ことと同時に「書く」ことをまなんだ作家である」と指摘している。「資本主義社会における職業作家の、もっとも早い典型としてのゾラ」は、「思想や知識」を、単なる「コンテンツ」としてではなく、それを入れる器である「メディア」―刊行形態および流通形態―と一体のものとして受容することから出発した。そんな彼にとって、著者と出版者を不倶戴天の敵同士と見倣す発想は、もはやロマン主義時代の遺物であり、編集者との共犯関係は自明の前提であった。
石橋正孝・倉方健作『あらゆる文士は娼婦である』白水社、2016年、96頁


日本で自然主義を標榜した人々が信奉したゾラの、文学商人としての戦略と編集者との「共犯関係」。もちろん、自然主義を主張した人々が商人でないということは無いわけだが。

ちなみに、山田稔はこの本を書いた人ですね。

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2019年06月12日

19世紀前半の日本と21世紀前半の日本

一昨日書いたヨーロッパの19世紀後半と20世紀初頭の話だが、ではそれ以前の時代はどうだったのか、たとえば19世紀前半の日本について以下のように記す論もある。

漢詩文のゆくえ  入谷仙介

    二 市民の文学

 日本は強固な幕藩体制のもと、世界に窓を閉ざして二〇〇年の太平を享受してきた。一九世紀前半の半世紀、経済的繁栄と、文化の爛熟のかげで、展望の見えない不安が広がった。漢学の教養が、武士、市民の間に行き渡って、身分的秩序を越えて、新しい知識階層が成立したといってよい状況が生まれた。漢詩文は実作者が増え、水準が高まり、国民的文芸として、名実ともに絶頂期であった。漢詩文の文学を支えたのは、幕藩体制に結びつく人々の役割も大きかったが、体制から離脱して、町の私塾教師、あるいは町人として生活しながら、自由な市民たることを誇りとして、作詩文を楽しむ人々が多くなり、その中からすぐれた作家が出現している。時代はそのような生き方を許容し、支持するようになっていたのである。この時代の文学的指導者は、まず頼山陽、ついで梁川星巌(一七八九―一八五八)であったが、いずれも仕官せず、自由人として生きた。山陽が文化八年(一八一一)に上洛してから、安政五年(一八五八)の星巌の死までをこの時期とする。
90頁


岩波講座日本文学史第11巻『変革期の文学III』(1996年)に収録された論のうちの一つである。
冒頭の「世界に窓を閉ざして」というあたりは、さすがに20年あまりの間に認識が変わっているようだが、この時期から醸成され始める「市民」たちの漢詩文を軸とした教養が、幕末から明治初期の日本の文学を支え、かつ次第に「文学」の枠外から追いやられ忘れられていくことになるわけだ。
必ずしも出版産業によらないこの「作者」たちの存在はなかなか面白く、現在のネットやSNSで浮上しているプロの書き手ではないけれどもすごい人たちにつながる訳である。
posted by kuwabara at 16:09| 大阪 ☀| Comment(0) | 作者のひみつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月11日

「作者」の相対化

10日前読んでいると書いていたフーコー「作者とは何か?」の終盤に以下のような記述があった。

 他方、私はそこに諸言説の歴史的分析への入口を見出すことができるだろうと思います。おそらくいまや諸言説をそれらの表現価値や形式的変化においてではなく、それらの存在の諸様態において研究しなければならない。諸言説の流通、価値付与、帰属、所有の様態は文化のそれぞれによって異なっており、ひとつひとつの文化の内部でも変化します。諸言説が社会の諸関係にのっとって分節する仕方は、それらが動かす主題や概念のなかにおいてよりも、機能としての作者の作用とその諸変容のなかにおいて、おそらくより直接的に読みとれるでありましょう。
 同じく、このようなタイプの分析から始めてゆけば、主体というもののさまざまの特権を再検討することができるのではないでしょうか。(略)
 作者ーーまたは私が機能としての作者というかたちでこれまで叙述しようと努めてきたものーーそれは、おそらくは、機能としての主体の可能な限定特殊化のいろいろのタイプのひとつでしかないのです。
66-68頁


「作者」は「機能としての主体」の「いろいろなタイプのひとつでしかない」というのがおもしろい。なぜ「主体」が特権を得ているのか、という大きな問題の中に作者の問題も含まれているわけである。

また、「流通、価値付与、帰属、所有の態様」を読み取るというのは、前に取りあげた『日本美術を学ぶ人のために』と共通している。というより実際はフーコー的な関心が日本美術研究にも採り入れられているということなのだろう。
posted by kuwabara at 19:36| 大阪 ☀| Comment(0) | 作者のひみつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする