2016年09月25日

「神聖喜劇」の五感描写

夏期休暇中に調べたのは、大西巨人「神聖喜劇」において五感に関わる描写がどのように行なわれているのか、ということである。

様々な形式の表現を使っているものの、基本的に語り手東堂太郎が見たこと聞いたことを伝えるのが「神聖喜劇」の地の文であるが、その多くがまさに見たこと(視覚)と聞いたこと(聴覚)に依っているということを明らかにするための調査である。
この指摘は、昨年の大学院のゼミで「神聖喜劇」を取り上げた際の院生の発表によるものだったのだが、ただそれは三巻までについてのものだったので、あらためて自分で全体について読み直したわけだ。

全体を通すと、触覚・嗅覚・味覚に関わる表現は皆無な訳ではないのだが、確かに非常に限定されていることはわかった。
また、地の文にそのような限定がある一方で、引用されている漢詩・短歌・俳句などでは三つの感覚を豊かに使っていることもわかった。

この結果をどのような形で論文にまとめるかは、現在検討中。大西巨人の他の小説と比較していくか、他の戦後作家と比較するか。
後者については、今年後期の院のゼミのためにその後武田泰淳「富士」を読み直したところ、触覚・嗅覚・味覚描写が溢れかえっており、「神聖喜劇」の禁欲ぶりが際立った。
もっとも、武田泰淳自体が人間の欲望を描くことを表芸にしている小説家なので、比較の対象が極端すぎるのかもしれないのだが。

武田泰淳『富士』中公文庫
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posted by kuwabara at 09:00| 大阪 ☁| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月24日

長山靖生『奇異譚とユートピア 近代日本驚異〈SF〉小説史』

この本、大学図書館に納入されていたので借りて読んでいたが、やはり手元に置いて方がいいと考えて購入。

おそらく数百部単位でしか刷られていない本のうち2冊が今我が家に(笑)。

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元々『SFマガジン』に連載されていたものだが、早川書房ではなく中央公論新社からの発売。その辺の事情は全く書かれていないのだが、(広い意味での)オタク寄りの最近のハヤカワさんでは扱いにくい題材かもしれませんな。

明治時代のSFや未来記的ノンフィクションを紹介するだけではなく、その背景となる歴史事情や文化事情も丁寧に追っている。
それと、従来の文学史で取り上げられているような文学者の動きや発言と、SF的な想像力との対立・緊張関係も随所に取り上げられていて、文学の可能性を広く考えるきっかけにもなると思います。

最終章では「浮城物語」論争を取り上げているのだが、今、森田思軒と内田魯庵について考えているので、自分のモチーフを確認したということもあるのでした。
posted by kuwabara at 13:31| 大阪 ☁| Comment(0) | 1890年前後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする