2024年03月25日

大江健三郎「ピンチランナー調書」にかかわる論文と関連する既発表論文

1年5ヶ月ぶりの更新。
その間に大江健三郎が亡くなったりしたわけですが、それとは関係なく大学院の授業では大江健三郎「ピンチランナー調書」を取り上げた。
いわゆる「純文学」ジャンルにおけるSF・ファンタジー的な想像力の導入ということで、三島由紀夫「美しい星」や村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」なども扱ったのだが、その結果前者を「ピンチランナー調書」の先行者・パロディ元と捉えるアイディアを得たのだった。

論文は既に勤務先のリポジトリで公開されているので、詳細はそちらに譲るとして(〈クワバラのテクスト〉にリンクをはっている。ページの一番下です)、その中で言及している既発表論文へのリンクを下に並べておく。

こちらも勤務先のリポジトリ。
大江健三郎『燃えあがる緑の木』について―1989〜90年の天皇代替わり儀式との関連から―

この論文と次の論文は『昭和文学研究』第88集(2024年3月)の高橋由貴「研究動向 大江健三郎」で紹介されましたが、『述』に掲載されたものは今では紙の雑紙は入手が難しく、また電子化もされていないので、〈クワバラのテクスト〉で公開しています。

大江健三郎と自衛隊、その持続性

この論文、実は「洪水はわが魂に及び」についての言及(三島由紀夫との関係を指摘)があるのですが、これまできちんと言及・批判されたことがないようで残念です。

もう一つ、『述』掲載のもの。

大江健三郎と原子力、そして天皇制

こちらでは「ピンチランナー調書」「セヴンティーン」「燃えあがる緑の木」などに言及しています。


次はまた「小説」について、20世紀に入る前後のあたりのものから考えたいと準備していますが、こちらについてはまたT年後になるのか、軽く更新したりするのか、ひとまず未定です。
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2022年10月29日

「太宰治「女の決闘」の先行テクストおよびそこから発展する問題について」公開

事情により前のエントリーで書いていた村井弦斎「日の出島」等についてはいったん中断して、太宰治「女の決闘」についての研究ノートを書いた。リポジトリはこちら

太宰治バージョンの「女の決闘」については教科書として作った『小説を読むための、小説を書くための小説集』(ひつじ書房)で取り上げているのだが、このノートの中で書いたように十分に論じきれていないところがあったので新たに気がついたことを書いた。
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それだけではノートとしても成立しないので、「女の決闘」の「女学生」の心内描写や、太宰治の〈女性一人称〉〈女語り〉と呼ばれるものに文体としてどういう特性があるのかをテキストマイニング・テキストアナリティクスによって分析したらどうなるのだろうか、という見通しを書いてみた。

アイディアとしては坂口安吾の「白痴」の男性一人称と「青鬼に褌を洗う女」の女性一人称はどのくらい違っているのか、大江健三郎の作家〈O〉・〈Kちゃん〉が書いた文体と、彼の娘や親戚が書いたとされる文体とはどのように異なっているのか、ことにも分析を広げられるだろう。

とはいえ、コンピュータを使った文体分析についてはまだまだ学ばなければならないところが多い。入門書としては『テキスト計量の最前線』ひつじ書房)がいいのだが、これは具体的な分析方法まではふれていないので、この本で参照されているものを読んでいかなくてはならないのだった(参考文献集としても使えるわけです)。
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19世紀末から20世紀初頭の小説を読むのと、コンピュータによってテキストを処理していけるようになるのがこれからの並行したテーマとなる予定です。
posted by kuwabara at 22:28| 大阪 ☁| Comment(0) | 太宰治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年03月31日

矢野龍渓周辺の小説について

半年以上更新していなかったのだが、その間「浮城物語」論争の矢野龍渓の側に近い立場から書かれた小説を読んでいた。
前に書いたのが、石橋忍月・内田魯庵についてだったので、反対側に回ってみた訳である。

そのあたり、今は「国立国会図書館デジタルコレクション」があるので、矢野龍渓「新社会」や「不必要」、堺枯川「百年後の新社会」や「理想郷」、それに村井絃斎「日の出島」などが簡単に読めてしまうことも関わっている。
今は「日の出島」の3分の1強くらいを読んでいるところである。

これらの小説についての先行文献はいろいろあるのだが、掲載されていた新聞メディアとの関連や、そこで描かれている社会像・社会思想、また内田魯庵・石橋忍月が担っている(とそれらの文献で判断されている)「文壇」に対する批判が読み取られたりしてきた。

もう少し小説の書き方について、つまり方法という面から考えられないか、というのが問題意識なのだが、もう少し時間がかかりそうである。
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2021年09月22日

「「浮城物語」論争以前の内田魯庵・石橋忍月の小説・評論について」 電子版公開

何気なく前のエントリのリンクをタップしたら、新しい論文の電子版が勤務先のレポジトリで公開されていた。

読めます。

ちなみに最近は「作者のひみつ(仮)』のキャラクタ会話版をちみちみ書いています。短い地の文を挟むと進めやすいのに気づいたよ。
posted by kuwabara at 23:10| 大阪 ☁| Comment(0) | 1890年前後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月03日

「「浮城物語」論争以前の内田魯庵・石橋忍月の小説・評論について」 掲載雑誌発行

前のエントリーで書いていた論文が掲載されたので、〈クワバラの研究〉の「クワバラのテクスト」のページに追加しておいた。

リポジトリにはまだ掲載されていないので、掲載され次第またここに書きます。

なお、以前は載っていなかった論文がレポジトリ化されていたので、自前のPDFからそちらへのリンクに切り替えた。
とはいえ、見た目ではわからないですね。いずれも『渾沌』や『文学・芸術・文化』に掲載されたものなので試してみてください。
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2021年07月01日

「「浮城物語」論争以前の内田魯庵・石橋忍月の小説・評論について」脱稿

半年ぶりの更新。

その間に、前のエントリーで「新ネタ(と言えども「浮城物語」論争がらみなので、古ネタでもある)」と書いていた論文を完成させ、現在初校が終わったところ。

以前から石橋忍月や内田魯庵が書いていた小説について検証しておきたいと思っていたので、それをようやく実現したことになる。
彼らの小説も矢野龍渓の小説観からでも評価はできるという話になりました。

では、次は?

今回、石橋忍月や矢野龍渓の小説・単行本について、国会図書館デジタルコレクションを活用した。PDFファイルで保存することも出来てかなり有用。
矢野龍渓の「新社会」(1903年)や「不必要」(1907年)といった小説も公開されているので、そちらを取り上げてみたいというのが今のところの構想なのだが、さてどうなりますやら?
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2021年01月01日

noteでの『作者のひみつ(仮)』更新終了

noteに『作者のひみつ(仮)』改の9章10章を掲載した。

10章の末尾でも書いたように、noteへの掲載はこれにて終了。あの使いづらいインターフェイスともこれでオサラバである。
この後はちびちびと無印から改へ書き直したり、既に書いているところもキャラ立てを強めたりしていく予定なり。

次は新ネタ(と言えども「浮城物語」論争がらみなので、古ネタでもある)についてふれることになるだろう。
では、またその時に。
posted by kuwabara at 15:57| 大阪 ☁| Comment(0) | 作者のひみつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月17日

教える者と教えられる者

8月10日のエントリーでふれていた「教員と生徒の問答形式になっている読解にかかわる本」についてだが、内容は普通だったので特に書くことは無い。
ふれたいのは問答形式の有効性についてである。

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高校二年生の生徒AとB二人が先生のところに来る場面から始まる。この二人は同著者の以前の書籍から引き続いて登場するキャラクタである。
いや、キャラクタというほどキャラが立ってはいない。

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生徒A 先生! 質問があります。前のように教えてもらえませんか?
先生  「前のように」って、どういうこと?
生徒B 以前、国語を学ぶ理由について聞きました。今度も、何と言うか、少し大きな質問なのです。根本的な質問と言ってもよいかもしれません。前のように、時間を取って話をしていただけると助かります。
先生  根本的な……? 大きな質問?何の話だろう?
生徒A Bと「国語」という教科について話していたのですが、「国語」ではよく「読解」とか、「読解力」とか言われますよね。「国語」の学力があるというのは、「読解力」があるということと近似だと思うのですが、いかがでしょう?
2-3頁

生徒二人は敬体、先生は常体で話すことで区別をしているが、生徒二人についてはあまり違いが無い。いくらか言葉が堅い(「近似だと思う」とか)が、二人でやりとりをしているとこんな感じで常体になる。

生徒B 言っていること、分かる気がします。論理的な文章、たとえば評論文を読むことで読者に起きる変化が、実用的な文章では全くと言っていいほど起きませんしね。
生徒A えつ、B、どういうこと? 何言っているの?
生徒B たぶんAも同じことを思ったはずだよ。
評論を読んでいるときは、いろいろ思ったり考えたりしたでしょ。自分の場合はどうなのかとか、自分の振り返りにもなったし、社会を見直すことにもなったし、想像力が時間軸を動くことも経験した、そうでしょ。そして、物事に対する見方が変わるきっかけになるような評論もあるんだろうなと想像もできた。
生徒A ああ、そういうこと!? 確かにね。人生観と言うと大げさだけど、自分が持っている世界観って、これでいいのかなというくらいのことは思った。いや、思わなければいけないということはないんだけど、結局自分の考えでいいや、ってなってもいいのだけど、きっと優れた評論って、読者に揺さぶりをかけてくるのだろうなとは思ったね。
101-102頁


AとBが入れ替わってもわからないかもしれない。どちらかというと、Aの方が知識があって、Bの方は知識は少ないが理解力が劣っているわけではない、という区別はありそうだ。

生徒B じゃあ、どこにあるのですか?
先生 分からない? 君たちの頭の中に蓄積されている、さまざまな知識・情報、さまざまな物事同士の関係、説得の論理、話の筋道、文脈、コンテキスト……、そういう道具があるからグラフを読み解くことが可能になっていると思う。
生徒B あっ、先生、話の腰を折って申し訳ないのですが、コンテキストって何ですか? 何度か聞いたような気がするのですが、よく分かりません。Aはどう?
生徒A 前に先生が何回かロにしたよね、文脈とも。私、調べてみた。コンテクストとも言うらしいよ。文脈、前後関係、事情、背景、状況などの意味を持つ英単語。最近より聞くのは何でだろうと思って調べたんだけど、ITの分野でよく使われているようだよ。
生徒B 文脈と言うと、文章の流れという感じだけど、それよりはずいぶん多くの意味を力バーしているんだね。
134-135頁


あと、口調からすると「女性」的で、やはり国語に興味を持つかしこいのは男子より女子というジェンダー圧力がかかっているようにも読める。もちろん、「何回かロにしたよね、文脈とも。私、調べてみた」という話し方をする男子生徒がいたとしても全然かまわないわけだが。


『作者のひみつ(仮)』改はわざとくだけた口調を使っているが、どのくらい効果的なのだろうか、一度公開したところも読み直す必要がありそうだ。
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2020年09月14日

「『燃えあがる緑の木』について」

勤務先の大学院論集に発表した論文を〈クワバラの研究〉に掲載した(ページの一番下のですね)。
昨年から書いてきた「昭和」から「平成」にかけての天皇の代替わり儀式と、大江健三郎『燃えあがる緑の木』三部作との関連を論じたものである。
ただ、主に取りあげているのは三部作のうちの一作目、オーバーから新しいギー兄さんへの代替わりが語られる「救い主が殴られるまで」ということになる。とはいえ、反国家・反社会的な存在として描かれる〈燃えあがる緑の木の教会〉が、もともと国家や社会が持っているいかがわしさを表現している、という主旨の論であるが、詳細はPDFファイルを参照してもらいたい。

この後はnoteに掲載し続けている「作者のひみつ」を完成させるのと、これまで小説について書いてきた論文をまとめるのが目標ということなるでしょう。

とはいえ、できれば小さい論文も書いていきたいものです。
posted by kuwabara at 14:27| 大阪 ☁| Comment(0) | 戦後文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月10日

noteの「作者のひみつ(仮)」、ひさびさ更新

「作者のひみつ(仮)」改、7章8章を公開。この二つは〈仲介者〉が作成したものが読者に作者のイメージを植えつける例として、それぞれ評伝・伝記と年譜とを扱っている。

元々は講義で取りあげた内容なので、骨格はできていたのだが、前者の方の差し替える新しい題材でいいものが無いか探しているうちに時間が経った。もちろん、大学のオンラインでの講義・演習が始まって慌ただしかったのもあるのですが。

ここまで公開したのは以下のとおり。

一般書っぽく書いた「作者のひみつ(仮)」が、

序章
1章
2章
3章
4章

と前半半分できており、

学研まんがひみつシリーズに敬意を表している「作者のひみつ(仮)」改が、

ある木曜日の午後
5章
6章
7章
8章

と主に後半の内容となっている。「ある木曜日の午後」はまだ書かれずにいる改の序章の前に入るものです。

次は「作者の死」について言及した第9章を改の方で書く予定。あと、noteの機能のせいで画像を十分使えなかった4章を改に書き直したいところ。

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そういえば、同じような教員と生徒の問答形式になっている読解にかかわる本を読んだので、こちらでは次はそれについて書く予定です。

posted by kuwabara at 18:37| 大阪 ☁| Comment(0) | 作者のひみつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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